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「心に浮かぶ文字を運ぶ手紙と云う文化」

「暑中御見舞い申し上げます」

手紙を書きたい。今日も手紙を書きたいと思う。目安は便箋二枚分で。使うのは、筆ペン、ううん、万年筆、ううん、書き慣れたボールペンにする。誰に送ろうか。なんて、送りたい人は決まっているんだ。だから、「書きたい」と思うんだ。さて、どの便箋使おうか。

「手紙を―」と思い始めた瞬間から、心は届けたい相手の事を、胸いっぱいに考え始めて、おそらく、相手色に染まっている。伝えたい想いがあるけれど、頭からそれを書くのでは伝わり切らない。今の自分の気持ちを、飾らない気持ちを、素直に、真正直に文字に記して伝えるには、書き始めの文章を先ずは大切にしたいと思う。自分が今どんな場所でその手紙を書こうとしているのか、風は、音は、景色は、気分は・・・書き出しはそのどれか一つに絞る。此処で欲張ると、あっという間に便箋が文字でいっぱいになってしまうから。迷うけれど、今自室には、開け放つ窓から気持ちの良い風が入って来る。だから今日はそれを書き出しとしよう。最初の一文を書くと、愈々手紙が動き出した感覚がする。

それから、相手の様子を窺ってみる。時には、察してみる。会ったばかりなら、その時の御礼を述べたりもする。楽しかった思い出を共有できるのも、振り返ってこうでしたねって、口では言えなかったことがさらりと表へ出せるのも、手紙の上だからできること。会話のテンポを気遣わなくても良いだけに、伝えきれなかった事が云える。手書きだから、当時の事思い出して文字が跳ねたり、自信なさげに小さくなったり、自分の文字は、案外分かり易いかも知れない。あんまり駆け足になりそうな時は、一呼吸於いて、姿勢を正してみる。

そして本題に入る。今日筆を執ったのは外でもない、「実はこれこれです」を前面に押し出してみる。思う様に筆が運べば、ああ、打ち明けたな。と思う。一寸安心する。けれど書いてみて、あれ、何だか伝えきれていないぞと思うと、少し不安になる。筆が止まる。思考の中断。手紙を頭っから読み返してみる。読みやすい手紙は、川の流れの様に穏やかに進む。感情迸った激流でもそれはそれで読みやすい。迷走して間に渦があるのも面白い。無論のこと、書き手に拠って自由自在で良いのが手紙の楽しさだから、書き手の心が映し出せれば、それで十分だと思う。例えば字を憶え立ての子どもから届いた鏡文字混じりの手紙なんて、この上なく微笑ましく、とても嬉しかったりする。要するに、その時、その時代の自分が現れるのが、手紙文化の素敵な処だ。

つまり流れとは、文字の流れるリズムなのかもしれない。だからいつも違う。書き手は同じだけれど、一通ごとに心情が違うから、同じものは出来ないのだ。

本題を披露したら後は終わりへと向かって行く。時の流れに思い寄せたり、世間の様子に触れてみたり、自然の変化に触れたり、自分の決意表明勇ましく書き記す事もある。最後は、相手の健康を祈りたい。平穏無事を祈りたいといつでも思う。

「敬具」、たまに、「草々」。この二文字を書くと、取り敢えず「よし」と思う。後は日付、署名、そして最後に、相手の名前を書き記して、遂に、完成。

封筒に住所と名前、そして切手。切手は、送る相手のこと、季節の事を考えて選びたいと思う。自分は受け取った手紙の、切手を眺めるのが好きだ。実はここの処新しい切手を買っていない。家に在る膨大な量の切手を、料金もどんどん変わって行く事であるし、使わなくてはと思い、色々と組み合わせては使っている。それが後もう少しある。今年の夏の切手も素敵だった。欲しかったけれど、まだあったから、もう暫くの、我慢。秋のグリーティングには、間に合うと良いなあ。

余談だけれど、切手を貼るのに、いつも気負い過ぎてしまうのが自分の妙な癖。斜めになったり、うんと端っこになったり、中々思う位置に貼れないのが、ちょっとした悩み。これじゃまるで不器用だ。でも時にはぴしゃり、上手く行く事もあって、そんな時は密かに嬉しい。

こうして、また一通が仕上がった。

手紙には、便箋を買うときのわくわく、選ぶときのわくわく、書く時のわくわく、切手を選ぶわくわく、ポストへ落とす時のわくわく。そして、無事相手へ届くかな、便箋開いてどんな風に思うかなと想像するわくわくが詰まっている。

こんなに素敵な時間を、人生の醍醐味を、知って書かずにいられるものかと思う。


今年の夏は、かもめ~るが無かった。いきなりのお知らせで悲しかったけれど、暑中見舞いを書くことまで奪われたわけじゃなかったんだと気が付いて、早速代わりの葉書か、或いは便箋を探す楽しみが出来た。昨年末、実は自分がこれまで出会った中で一番好きだった便箋と封筒の在庫が発売元の本社にあると分かり、嬉しさの余り買い占めてしまったから、使い切るまでは新しいのは買わないぞ、大事に使うぞと意気込んでいたけれど、無理だった。だって売り場が呼ぶんだもの。季節のものもあっても全然無駄にならないんですもの。幾ら書いても、書きたい事が次々と出て来るんですもの。

どうしようこの書いては送る幸せな暮らし。かっぱえびせんじゃないけど、やめられない止まらない。かっぱえびせんはもうずっと食べてないけど、なんだろうな、自分は一体何に突き動かされているんだろな。そうだなあ、落ち着いて分析するなら、いや、大人しく白状するなら、畢竟「想い」だろうなあ。誰かへの想い、届けたい想いが、手紙へと向かわせるんだな。


あなたは手紙を書きますか。

私は書きます。伝えたい想いを届けるために、今日も筆を執ります。そして、もしも手書きの文字が自分の元へも届けられたら、とってもとっても嬉しいのです。


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お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。