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掌編「よっちゃんいかは右のポケットに」


 あと二日で九月になる。

 今夜を入れて後三回月が昇ったら、夏休みが終わるってことだ。寂しい。僕は物凄く寂しいと思う。友達に会えるから嬉しいと云う子も居るんだろうけど、僕は、そんな風に言い合える子が、もう居ないんだもの。
「よお、久し振り!」
「おう!なんだよ、めっちゃ日に焼けてんじゃん」
 休み明け、教室内でそんな会話を耳にすると、僕は羨ましいと思ってしまうに決まってるんだ。だから、どうにも、学校に行きたくない気がする。九月を、出来れば遠ざけて欲しいと無茶を思ってしまう。

 僕の友達は、今年度のプール開きよりも前に、県外に引越してしまったのだ。お父さんの仕事の都合で、あんまり急に引越しが決まって、僕らはちゃんと話をする時間が、きちんとお別れをする時間が作れなかった。それが残念で、言いたい事すら言えなかった自分の事が、酷く恥ずかしくて、情けなかった。
 ただ、僕の机には、別れ際に友達がくれた、新しい家の住所と電話番号が書かれたメモが貼ってある。隣の県名だけど、遠いなって思う。こうして机に向かっている時間に、新学期の準備をしておかなくちゃならないのに、僕はいつまでも机の本棚の背表紙を眺めて愚図愚図していた。そして不意に目が留まった。

「駄菓子研究帳」
 下手くそな僕の字だった。僕の今年の夏休み自由研究は、実は春から始まっていた。友達と、ずっと駄菓子の研究をしていたんだ。一種類でも多く食べて一大プロジェクトにしようと張り切って、小遣いで購入しては、味の感想、成分分析、子ども向け商品か、大人向け商品か、五段階レベルで分けていたんだ。
 沢山食べた。全部で二百個にしようと決めて、二人して色々買って食べた。僕の友達は「日本一ながーいチョコ」が好きだった。僕はつまみ系が、特に「かば焼きさん太郎」が好きだ。だけど二人共研究の為に、何度も一番好きを我慢して、買ったことの無い駄菓子を購入したんだ。中でも「ウメトラ兄弟」を食べるのは大変だった。だって僕等二人共酸っぱいのが苦手なんだ。せーので同時に口に入れたけど、酸っぱくて悶絶しちゃった。僕には一人お姉ちゃんが居るけれど、カリカリ梅とか蜂蜜梅とかをよく口の中で転がしてる。一体どんな舌を持っているんだろうって思う。後は、父さんに聞いた「まるぽちゃ」を食べてみたい。でももう売ってないのかも知れない。だとしたら残念だ。

 完成させなくちゃ。僕は突然、使命のように強く思った。夏休み前に研究は止まってしまっていたけれど、二人で頑張ったんだから、最後まで研究を終わらせなければ。同じように研究結果を記入しているノートを、友達も引越し先へ持って行ったはずだ。ひょっとしたら僕からの連絡を、夏休みの間中待っていたかも知れない。僕は自分のノートを引っ張り出して、駄菓子は幾つ迄終わっているかを確かめた。なんと、あと一個を残すばかりだった。こんな未完成、勿体ない。

 あと二日ある。
 僕はインターネットで電車での行き方と時刻を調べた。友達の家の最寄り駅までは三時間位で、そこから歩いて十五分の距離。なんだ、近いじゃないか。続いてリュックに荷造りだ。自由研究のジャポニカノートと筆箱。ハンカチにティッシュ、熱中症対策にはいつもの水筒に冷たい麦茶を入れて行こう。塩分入りタブレットも。肝心の切符代は、残しておいたお年玉と、この夏のお小遣い、それに来月分を何とか先に貰えるようにお願いして、それだけあれば往復できる。

「よし」
 僕は気合を入れて立ち上がった。
 同じ頃、子ども部屋を共有する姉のスマホが賑やかになった。誰かとメッセージで会話しているみたいだ。


「T子から母へ、隆二が漸くその気になった模様、どうぞ」
「了解、母」
「もうじきお小遣いの交渉に向かうと思われる、よろしくどうぞ」
「了解(笑)、母」
「決行は明日、尾行とバックアップの準備を整えます、どうぞ」
「やめなさい(苦笑)、母」
「・・・了解、姉。あ、T子」


「ねえお姉ちゃん」
「えっ何?」
「姉ちゃんが一人で電車に乗ったのって、小学校何年だった?」
「ええと、四年生かな」
「ふうん」
 今の僕と同い年じゃないか。それならきっと許して貰える筈だ。いや、もし反対されても、説得して絶対行くんだ。友達も、きっと僕のこと待ってるんだ。僕は切符代を計算したり、電車の時刻を記入した紙を手に、母の姿を探しに部屋を出た。

 翌早朝。実はあの後、先ずは母さんの、それから夜には父さんの了解を取り付けたんだ。母さんが、念の為電話してみて御覧と云うので、友達を吃驚させたい気持ちもあったけど、僕は家から電話を掛けた。そしたら、嬉しいってさ。待ってたってさ。僕はこの時、夏休み中で一番笑った。姉ちゃんは気を付けて行きなって言ってくれた。お小遣いに五百円もくれた。家族の応援も全部リュックに詰め込んで、僕は始発で家を出る。

 靴を履いて、玄関でもう一度荷物の確認をした。昨日のうちに買った切符もある。全部持ってる。最後に、絶対忘れちゃいけないもの。万が一リュックを車内に忘れても、向こうで友達と食べられるように、これだけはズボンの右ポケットに入れておこう。

「行ってきます」

 朝日を浴びた。夏よ、も少しだけ待ってくれと顔上げた。

                           おわり

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