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「拝啓、夏目漱石様」

 先生、今どちらにいらっしゃるのですか。私が先生を師と仰ぐようになってから、まだ一度もお会いできておりません。早く先生にお会いして、きちんとご挨拶申し上げたいのですが、どうやらお会いすることは暫く叶いそうもありません。仕方がありません。今日は先生の弟子として、いえ、矢張りまだそう言い切る勇気がありませんのでただの書生と致します。先生のいち書生として、先生に御報告申し上げたい事がございます。どうか最後までお読み下さい。何だ詰まらないと思っても、最後まで読んで、そうしてふんと鼻で笑ってやって下さい。

 先生、私は文字に触れていたいのです。本を読むことは勿論、書くことも好きなのです。そんなこと既に御存知かも知れませんが、私は近頃、一層強くそう思うようになったのです。これまで私は、沢山小説を書いて参りました。箸にも棒にも掛からぬような駄文でありました。自虐でも謙遜でも何でもありません。ただありのままを言うのです。その時の私にはそれが最大限でありました。そうする先に本になった己の作品が並ぶ夢想を致しておりました。結果的に甘かったのです。未熟でありました。書くことで食べていけないのなら、私は筆を置かなければ不可ないと思いました。もっと他の所に力を使って、ちゃんと稼いだ方がまだ家族の役に立つと思いました。実際私は筆を置きました。それでも本は手放しませんでした。書かない分だけ代わりに沢山読みました。そうして先生、私は書かないと言いながら、実は書いていました。文が書けなくなることが恐ろしくて、日々思った事をつらつらと書き綴っておりました。それから新聞の読者欄へも時々投稿致しました。あとは手紙を書きました。そうする内に、私の中で、物語を書きたい気持ちが沸々と湧いて来たのです。私は始め、不可ない不可ないと、その気持ちを一生懸命押さえつけようと致しました。それなのに気が付くとまた「こういう話はどうだろう」なんて考え始めているのです。手に負えません。段々書きたい、書きたいという気持ちが先行し始めます。無視できなくなります。書いてどうするんだ!と怒鳴りつけてやりたいのですが、そうする偉ぶった自分よりも、書きたいと訴える自分の方が正直でありますから、矢っ張り最後は書きたい方が勝ってしまうのです。これはもう止められないと、私は遂に悟りました。

 そうして今年、実は一本書き上げたのです。推敲を重ねて、今は一旦寝かせています。私はこの作品を、どうしたらいいだろうと考えました。ただ書くのでは食べてはいけません。これをどうにかして世に出さなければ、面白いか、そうでないかの判断もつきません。日頃没交渉な私は、世間へどう手を伸ばせば良いか、一寸分からなかったのです。暫く右往左往して居りました。「それから」を読みながら、「明暗」を読みながら、ああどうしようと毎日思いました。時には本を置いて、真剣にどうしようと思いました。所が、ここで一つの光が差し込んだのです。新聞です。或る日の新聞に、とある記事が載りました。現代社会には、私のような素人でも世へ作品を曝す機会が容易に与えられるのです!私は大変惹かれました。直ぐにでも手を伸ばしたかった。ですがここで私は一旦立ち止まりました。世の主流であるインスタグラムやツイッターなどに全く縁の無い私には、果たしてこのやり方が通用するのか。横書きという今迄と九十度違う書き方で、続けていくことが出来るのか。この一週間は本気になって思案しました。そうして、私は、決めました。このタイミングで、というのは、私の生きる歴史の中でということですので、どういうタイミングであったかは、一寸省くことに致しますが、このタイミングで示された事に大きな意味があるのではないかと思ったのです。ですから私は、手探りにでも、始めなければならない、やりたいと心の底から思いました。

 そこからは毎日わくわくして居りました。何から書こう、どんな風にご挨拶すれば良いだろう。繋がりが薄い自分にも、興味を示して下さる方が或るのだろうか・・。色々と考えてしまいました。しかしもうやると決めた事なので、あとは前進あるのみです。まずは発表する作品を考えました。他にも、昔持っていたデジタルカメラのデータを引っ張り出して写真を用意したり、これは一見関係無いように思われるかも知れませんが、画像がある方が皆様の目に留めて頂けると、指南にあったのです。私は素人ですので、きちんと、そういうアドバイスには素直に従ってやってみようと思います。それで、色々な風景を切り取った写真など、取り敢えずでも用意しました。

 いよいよ始まりの日がやって来て、私はパソコンに向かいました。手書きでも縦書きでもない、新しい、未知の世界へ一歩を踏み出す記念すべき日です。散々考えた私は、二〇十八年に仕上げた小説を適当な長さに割って、少しずつ投稿することに致しました。読み返してみて、本当は恥ずかしいと思いましたけれども、修正を加えて、切るべきところは切って、しかし当時の自分に多少の敬意を払って文体が変わるほどの修正は行わず、恥ずかしくてもできるだけそのまま出してみようと思いました。「広とはる」という題です。ちゃんと忘れずに、画像も付けました。私の好きな空の写真にしました。そうして私はどきどきそわそわしながら、何しろ相手の見えない不思議な世界ですから、何が起こるか見当もつきません。全く相手にされないかも知れませんし、そういうことはなるだけ考えないようにしますが、兎に角使い方にも慣れなければ不可ませんから兀々文を打っていきました。すると数時間後、何と云う事でしょうか、私の小説をお読み下さった方がリアクションをして下さったのです。私は大変驚きました。この世界の繋がり方の俊敏なのに驚きました。そして世界の多様なのに驚きました。

 先生、今私の小説を続けて読んで下さる方がいらっしゃいます。私が打つと、追いかけてお読み下さっているのです。ずっと何年も、試し読みを頼む妹の他只の一人も居なかった読者が、この一週間で幾人も誕生したのです。私は感動しました。こんなに嬉しいことがあるでしょうか。私はこの喜びを、生涯忘れないようにします。そして今は何よりもまず、一つ目の作品を最後まで投稿することに専念致したいと思います。ああ、最後まで書ききるまでは先生へも手紙は出さずにおこうと思いましたのに、あんまり嬉しくて、堪え切れずに出してしまいました。

 しかしながら私はまだフォローだとかフォロワーというものが殆どゼロなのです。使い方が分からないのです。これは追って理解したいと思います。というわけで夏目先生、今度の前進で私はまた一つ成長致します。いつか先生のように面白い本が書けるように、毎日毎日、息をするように書いていきます。太宰先生が「風の便り」で同じようなことを仰っていました。長くなりますので太宰先生の話などはまた次の機会にお話しさせて下さい。

 それでは先生、立秋過ぎて尚暑い八月の空の下からお届けしました。最後までお読み頂き感謝申し上げます。鼻で笑って下されば本望です。相変わらず御多忙かと思います、どうか御自愛下さいませ。

                        敬具



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