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手紙小品「書けども過ちの多い事」


 真っ当まっとうの文字を探している。相手に読みやすく、更にはこちらの思いが伝わりやすく、目に優しい、心地良い文字と云うものは、全体どんなものだろう。


 毎週毎週積り積もった話を届けたいがために、喜び勇んで、張り切った筆を執るわたくしであるけれども、惜しげもなく事実を打ち明けるならば、書けども書けども字が上手くならん。前にも幾度か吐露したものだが、上手くならんのだ。それどころか、実は、自信を失くす、と云って元々自慢できる文字を書いた試しが無いので自信も何も無いのであるが、兎に角とにかく恥ずかしい一方である。その上勢い込むと、筆が走ってぐ字が抜ける。誤字脱字をしがちなのが全くもって情けない。辞書を引いて、読み返してするのに、中々の頻度でやらかす。


 こちらの近況も、心情も、ありのまま、正直にと思うあまり、自分の言葉でこつこつ書き綴っていると、段々、今度は自分の言葉に酔って来る。言葉のリズムに気を良くして、あれよと独り善がりの文体が生まれ、肝心の心は、一人ボートで何処へ行くやら。畢竟ひっきょう伝わりきらない言葉の集まりが堂々便箋の上へ現されただけである。一体誰の為に、何の為に筆を執るのか、一度目を離して、読み直して、思わず顔を覆いたくなる。両手で目隠し、ごめんなさいと呟きたくなる。その癖一寸ちょっと面白い、馬鹿だなと思っているから始末が悪い。悪態吐きつつひょっとすると前よりはうまい具合に書けたのではないかしらんと呑気に自分を持ち上げてみようとさえしているから厄介である。もう手に負えない。


 だがそんな己に拳骨与えて真面目になってみよう。どうだ。


 自己満足な文章は求めていない。届けたい相手にこそ伝わらなければ意味が無いのだ。丁寧に、素直に、それでいて、分かり易く。その為には、日々精進、焦らず、じっくりと手紙と向き合う、心の余裕が必要なのだ。その上で矢張やはり一番大切と思うのは、手紙が好きで、書くのが楽しい、貰うのが嬉しいと云う気持ちである。下手でも書きたい、届けたいと云う何より純粋な気持ちに素直に寄り添う事だと思うのである。


 伝わる文章と云うのはむつかしい難しい。書いても書いても、わたくしはまだまだ満足できないのである。と同時に、ここで満足するのも詰まらない話であると思う。何時か何処かで、誰かが誰かの、お菓子の空き缶を開けた時、わたくしの手紙が入っていたとしよう。どういう経路を辿ったか知らない、けれども、あったとしよう。そして、もしも手紙を広げて、くすりと笑う事があったら、乱字でなくて、文章に、思わず笑みを零したとしたら、大変面白いと思う。この上なく愉快であり光栄であると思う。そんな手紙を世に落として、立ち去りたい。


 等と、下らぬ妄想まで広げて、およそ手紙の書き方でも無ければ誰かへの手紙でもなく、只己の煩悩混じりの小さな心の呟きを、さも大それた望みの様に、わざわざ文字に認めた、睦月の平和な午後である。

                         いち



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