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掌編 手紙「子どもたちへ」

 前略 近所の草木が一斉に芽吹いて、わが家の周りもいよいよ春めいて来ました。今年の桜の開花は早いようですが、あなた達の通う学校の桜はどうですか。

 今日は、容易に会いに行く事が叶わなくなったあなた達の門出を、それでもお祝いしたくて、こうして手紙を書く事にしました。年に何度も会いに行ったり、またこちらへも遊びに来てくれていた日々の事を思うと、その日常はすっかり様変わりして、懐かしい気持ちにさえなります。けれど、去年は一度だけ、緊急事態宣言の解除されている間に、会うことが出来ましたね。
私たちは安心してお互いが会えるように、事前に今までに無く入念な準備をしました。健康に気をつけるのはもちろん、不用意に出掛けないようにし、外出の後の手洗いと嗽、それに消毒を徹底しました。当日も、持ち物にウイルスを付着させて行かない様に表面を拭き上げてから積み込みました。車にはアルコール消毒を用意して、マスクを着け、途中のサービスエリアへトイレ休憩に寄った折にも、車から出入りする度手とマスクの表面を消毒して、衣服を払い、何としてもあなた達の元へウイルスなど持ち込まないようにと細心の注意を払いました。

 そうやって、ようやく会えた子どもたち。少し見ない間にそんなに大きくなったの!?と写真で見ていたよりもうんと大きくて、またいちだんと逞しくなって、私は本当に嬉しかったのよ。一緒にお昼ご飯を食べた事。いつもならお弁当を作って行くけれど、今回は安全面を考えて、スーパーで買ったもの。でも美味しかった。それからかくれんぼをして遊んだ事、少しずつ再開された学校で頑張っている話、学校がお休みの間でも休まず通った君の保育園のお話。家の外へ誘われて、乗れるようになった自転車と、何て言ったかしら、なんとかボードに乗れるんだよと云って実際に見せてくれお姉ちゃん。ボードゲームも一緒にやったわね。お兄ちゃんは相変わらず賢い。私はもう手も足も出ませんでした。

 遊びの途中で、一度手洗い嗽をしようと声を掛けたら、あなた達は神妙な顔ですんなり洗面台へ向かって、順番に黙々と手を洗って、嗽をしました。歯磨きしようと誘ってもきゃあ~と逃げ回っていた子どもたちが、たった一言で、素早い行動。そのすんなりぶりに、私は今回のウイルスの、人に与える脅威の大きさを思い知らされた気がしました。

 お父さんもお母さんも、職場環境からしてすっかり日常が変わってしまって、あなた達のことも守ろうと、毎日外で家で、本当に心身共に忙しくしている事でしょうが、二人ともにこやかな笑顔で私たちを迎えてくれて、ありがとう。離れていても一家が元気でいてくれたことが、こんなにも幸せなのだと、私は改めて実感しました。

 学校が長くお休みになっていたけれど、その間は、普段取り組めないような事へじっくり向き合ったり、子どもたちだけでお留守番も出来るようになったそうで、素晴らしいです。世界中が未知との闘いで苦しい状況ではあるのだけれど、そんな中でも軽はずみな噂話などに惑わされることなく、自分の出来る事を、家族と協力して頑張ったあなた達を、きっとこれからも頑張り続けるみんなの事を、私は本当に頼もしく思います。

 これからこの国がどう変わっていくのか、世界がどのように進化していくのか、まだ私たちは知る由もありません。ですが、憶えておいて下さい。世の中に、当たり前なんて、無いのです。今生きていること、毎日美味しいご飯が食べられて、眠る場所がある事、お父さんお母さんが居ると云う事、家族が傍に居ると云う事、学校に行けると云う事。全ては、永遠ではないけれど、だからこそ、毎日を楽しく、元気に、そして、自分に出来る事は何だろうと考えながら、一生懸命生きて行くのです。何より、一番大切なことは、笑っている事。笑顔が楽しく生活するための一番の秘訣です。
 それでは、また一緒に遊ぶ日を楽しみに思いながら、私も自分の場所で、たくさん笑って過ごせるように、日々を、頑張るからね。

 大切な大切な子どもたちへ。卒業おめでとう。進級おめでとう。入学おめでとう。もう少し辛抱したら、桜が葉桜になる頃には、会えるかなと思っています。もし先延ばしになっても、必ずまた、会いに行くよ。それまでどうか、家族仲良く、元気に暮らしていて下さい。
                            草々
  令和三年  春


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