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「牛の代わりにちょっといいですか」

 ちょっといいですか。

 牛乳って子どもの頃からさも当然の様に学校給食にも出てきますし、何だかどこの家の冷蔵庫にも常備されてる風で、いつの間にか我々の生活圏に浸透して久しいですけど、ちょっといいですか。横槍入れるようで、好きな方には異論反論さまざまある事は凡そ察しも付きます。けれど、ちょっといいですか。

 牛乳って牛の乳ですよ。つまりですね、母牛が子牛を育てるために生み出したと思うんです。子牛のために。ですから、幾ら栄養価が高いからとか言い募ってもですね、我々人間の飲み物なのかどうか、そこのところが私は昔から不思議でしょうがないんです。

 昔々、私が保育園児の頃は割れないコップにぬるい脱脂粉乳が注がれておりました。おやつの時間です。他の子ども達は大概が平気な顔してそいつをごくごくやってます。おかわりする子さえいます。私は毎日周囲を疑って過ごしました。

 だって不味いんですもん。全然美味しくなかったですよ、脱脂粉乳。おかしは大好きなのにコップの中身が憂鬱です。できるだけ口へ運ぶを遅らせて、しかし空っぽにしなければ目を光らせる先生たちに許して貰えませんから、私は毎日意を決してコップを掴みました。息を止めて匂いを嗅がないように、味わう隙を与えず、流し込んでいきます。一回で済めば嬉しいのですが、当時から群を抜いて小さい自分は、一気飲みができません。気持ちだけは立派に一気してますけど、実際は三、四回かけてるんですね。そうやってどうにかやっつけて来ました。

 で、時を経て小学校に上がります。やれやれと思うと今度は牛乳の攻撃がはじまりました。給食ですよ。ごはんには合わんですよ。確かに、最初の小学校はほぼ毎日コッペパンでした。たまにごはん、たまにソフト麺でした。けれど、どんな献立であろうと、必ず銀のトレーの片隅にパックの牛乳が鎮座しておるのです。

 苦行でした。私は牛乳を飲むと耳が切れるんです。気持ちが悪くなるのです。総じて体がしんどくなるのです。

「それってさー・・・」

 そうです、今でこそ社会に浸透した食物アレルギーだと思われます。ですが当時そんな言葉は全くと言ってよい程知られておりませんでした。アトピーという言葉は使われていましたけれど、人によって体質に合う食べ物と合わない食べ物があるという認識は殆どなかったのです。食物アレルギーに配慮して子どもに無理矢理食べさせないという選択肢の無い時代でした。何でもただの好き嫌いで片付けられ、鼻を摘まんで食べなさいとか、他のものと一緒にしてごまかしながら食べなさいだとか、中々無理を言われたものです。幸い私は食べ物の好き嫌いは殆どありませんでしたから、食べるのは遅かったですが黙々と食べておりましたので、鼻を摘まんで―等と無茶を言われた記憶はありません。

 しかしながら本来健康的に栄養摂取して終えるべき給食で毎日体に負担をかけては元も子もなくなります。私は自己防衛機能を働かせました。自分で判断するんです。これも身を守る術です。
 体に摂取すれば間違いなく悪影響を及ぼす牛乳からどうやって身も守ったか。簡単です。残すんです。当時ランドセルの片側には給食袋というものを毎日ぶら下げて通っておりました。元々何のためにぶら下げていたか、すっかり忘れてしまいましたが、私はそこに牛乳とコッペパンを入れて持ち帰っていました。帰る頃には当然常温になっています。今では絶対出来ない真似だと思いますし、決して真似をしないで下さいと強く申し上げます。しかし当時はそうやってしれっと片付けておりました。ばれていないわけがなく、おそらく先生も目を瞑ってくれていたんだと思います。

 持ち帰った牛乳は牛乳好きなきょうだいが飲んでいましたから、家でダブつく事もありませんでした。むしろ喜ばれました。コッペパンはいつもでは無かったのですが、時間内に食べきれない時はそうせざるを得なかったのです。

 私と牛乳との闘いは学校給食だった中学校卒業まで続きました。

 さて冒頭の疑問に戻ります。そんな牛乳は、果たして人間の飲み物なのかどうかです。まず最初にも申し上げましたが、あれは牛のお母さんが子どもに与えるためにこしらえている優秀な飲み物なのです。そして、牛には胃袋が四つあります。牛はそういう優秀な飲み物を四つの胃袋を使って消化させ、体に取り込んでいるんです。人は胃袋が一つです。にも関わらず同じことをさせようというのでしょうか。私には無理です。

 との主張を長年繰り広げてきた私ですが、じつは子牛の方でも、母乳は四つ目の胃だけで消化吸収しているんだとか言う話です。実際はどうなのか、教えて頂きたいものです。

 今でも牛乳は飲めません。仕事柄扱う事は多々ありますから、稀に手に掛かったりすると気が狂いそうになりますが、仕事中ですから平気を装って処理しています。因みに生クリームもほぼ摂取できません。あれは元々得意ではありませんでしたが、数年前から受け付けなくなってしまいました。年に数回、ほんの少し、これで満足です。

 念の為申し上げますが、これは全国の酪農農家の皆様に喧嘩を売ってるんじゃありません。農業漁業従事者はじめ、自然と向き合い命を届けてくださる皆様に、私は常に多大なる感謝の念を抱いてやまない一人であります。学校給食があって、そこに牛乳が含まれている事で救われた家庭は数知れず、日本社会に欠かせない基盤の一つだと思っています。自分の身の回りでも、牛乳好きは数知れず。ただ、長年牛乳をかわしながら生きて来た私の主張をちょっと語ろうと思っただけなのです。

 ただね、牛のお母さんもね、まさか人にこれ程搾乳されるとは思ってもみなかったと思うのです。だっていつも言ってるじゃないですか。

「モーウ」って。

                        おわり


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