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お前が生きたかった明日


久しぶりの投稿になります。
3月から4月へと時は流れ、
大学生から社会人となった訳です。

拠点を京都から東京へと移しました。
引っ越しやら入社準備やらで
バタバタしておりまして。

入社式、現場での研修は中止。
現在はリモートワークという
形をとっております。

オンラインでの講義や支給された本を用いて、
社会人としての基礎を叩き込んでいる
日々を過ごしております。

叩き込んでいるとはいえ、多くて1日5時間。
(出社するとなると話は変わってきますが。)
1時に就寝し7時に起床するならば、
13時間が可処分時間となります。

その13時間を如何に過ごしているか。

二度寝。
SNS。
スマホゲーム。
ネットサーフィン。

事情が事情であるため、
外出できないという背景もありますが。
改めて文字におこしてみると、
惰性に満ちた生活が露呈された訳です。

メディアに関係のある職業に就いたため、
"SNSやTV鑑賞が全くの無駄だ"
という訳ではありません。

「意図を持たずに、
 漠然とメディアに向き合う」ことが
今の私にとっての”悪”なのです。

その"悪"を認識していながらも
”悪”に身を任せてしまう
私の生活が”惰性に満ちている”訳です。

前置きが長くなりましたが、
タイトルの内容に触れます。
この惰性に満ちた時間を
淡々とこなしていく日々に
危機感を覚えたキッカケです。

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"お前が生きたかった明日"

「私が無駄にした今日は、
 昨日死んだ誰かが生きたかった
 明日なのかもしれない。」

この言葉をどこで聞いたのかは
覚えていません。
ですが、内容がすっと入ってくるんです。

それは恐らく、身に覚えがあるから。

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2015年5月29日。
幼稚園から中学校まで、
同じサッカーチームに所属していた
仲間を亡くしました。

あまりにも早すぎる仲間の死に、
途方に暮れる日々が続きました。

食事では何を口にしても味がぼやけてしまう。
夜も熟睡できることは無く、寝不足の日々。
高校サッカー部では練習に身が入らず
スタメンを剥奪され。
6月に開催された体育祭の写真は
どれも引きつった笑顔でした。

世界から色が消えた。

そんな表現を見たことがありますが、
そいうことかと。
約5年前の出来事ではありますが、
今でも鮮明に覚えています。

この5年間、いろいろなことがありました。

高校卒業。
大学入学。
成人式。
大学卒業。
就職。

その度に考えていました。

「お前はどんな大学に行っていたのかな。」
「お前はどんな彼女と付き合ったのかな。」
「お前はどんな企業に就職したのかな。」

問いかけても、答えは帰ってきません。


そんなお前は、サッカーが上手でした。

そんなお前は、真面目で勤勉でした。

そんなお前は、優しい人でした。

そんなお前は、みんなに好かれていました。

そんなお前は、みんなに教えてくれました。

"本当に大切なものは、
失ってからはじめて大切であったと気づくと"

"そう"であると気づくために、

その時、その場面で
後悔しない選択をしなければならないと。


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今日の私は、
お前が生きたかった一日なのかな。

まだまだやれることは、ありそうだ。




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