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無償で請け負った仕事は、いつまでも無償でしかないという話

以前、友人が主催している子供向け劇団の仕事を無償で手伝っていたことがある。最初は照明操作でだけだったのだけど、そのうち公演パンフレットやチラシ製作、さらには劇団サイトのリニューアルまで請け負うことになった。

その劇団の公演は、毎回ホールや劇場での公演ではなく公民館の会議室を使用していて、機材は劇団所有の非常に簡素なものであったため、技術提供という意識はなかった。またチラシ製作に関しても作業の負担は増えていたけど、コストは掛からないしチラシ製作やサイトリニューアルは楽しい上に実績作りになるということしか当時は頭になかったので、自ら進んで制作を申し出た。

しかしいくらコストが掛からなくても、公演のための稽古への参加する時間と交通費、製作するための時間など、自分の時間というコストが掛かっている。それなのに、まったく自分の時間というコストが見えていなかった

当初は、秋にはサイトリニューアルを手掛けるつもりでしたが、本業での仕事が忙しくなり、なかなか手を付けられないまま気づけば時間が過ぎていった。

ようやくその一言で目が覚めた

そんなとき、たまたまある人に話をする機会があったのですが、「たとえ実績を作るためだとしても、プロならお金をきちんと支払ってもらえ」、「お金を渋る人とは仕事をするな」と怒られたのです。

そこで、ようやく目が覚めた。最初から無償で受けた仕事は、その後有償にすることは難しい。特に相手が友人となると、周りの人間関係もあってより複雑になる。

せめて今はまだ厳しいのであれば、ご飯おごるとか、お酒をおごるとか、食料とかちょっとしたモノとか日本酒でも構わない。自分がする仕事に対する気持ちを戴きたいのである。対価を戴いて初めてプロの仕事ができる。

そもそもプロである以上、きちんと対価は戴くのが基本だ。たとえ友人や知人であっても、最初から対価を支払って戴ける方と仕事をしていきたい。

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