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「いいね」に翻弄されているという話

SNSを運営していく上で、切り離せないものが「いいね」である。記事や動画をアップすると、しばらくの間はどれくらい「いいね」が付いたのか気になって仕方ない。

2014年、ブログにこんなことを書いていた。Facebookの「いいね」に関することである。まあ、ただのボヤキなんだけど。

今までホソボソと続けてきたこのブログですが、最近は少しづつFacebookに更新を送るようになりました。
最初の友人の数は、ほぼ学校公演時代の友人や小屋付きの仕事でつながった方々のみ。たかだか15人程度です。更新は、ほぼ近況報告のみ。
しばらく放置状態でしたが、ようやく50人くらいまで友人が増えてきましたので、ちょっと調子に乗ってたまに近況的なものなどのブログを送ってみることにしたのです。
ところが。
いいね!を期待して翌日意気揚々とFacebookにアクセスしてみたところで、いいね!の数なんて多くて3人程度。いいね!が付かないことのほうがほとんどです。
涙がちょちょぎれます。ああ、見なきゃよかった。かたや、友人の多くはすんごい数のいいね!が付いているのです。この差はいったい何なんだろう。
もう、切ない。ああ、切ない。いいね!ごときに振り回される自分の器の狭さが余計に切ない。ああ、いいね!なんて嫌いなのに。Facebookになんか送らなきゃいいのに。
こうして今日もいいね!を期待してブログ更新情報をFacebookに流してしまい、いいね!の少なさに涙するのです。いいね!なんか大嫌いだ。
さて、明日はいくつのいいいね!が付いているのかな。

あれから7年経った現在。ブログは相変わらず続けているものの、Facebookの更新はほぼしていない。SNSは当時よりも増えて、Twitter、Instagram、You Tube、noteと手広くやっている。

頻繁に更新しているTwitterは、反応が気になるあまりアプリからの通知を切り、さらには「いいね」や「リツイート」ボタンの表示と通知が出ないTweetbotにアプリを切り替えたのだけど、結局純正アプリは消せずにチラチラと通知を見てしまう。

You Tubeも動画をアップした後は頻繁にYou Tube Studioを見て「いいね」の数を追ってしまうし、「よくないね」が押されると悲しくなる。Instagramも、「いいね」が付くような写真の撮り方を考えている。

こうして書いてみると、かなり7年前よりも「いいね」に翻弄されている。もはや重症である。もうこれは現代病なのだ。SNSをやっている限り、避けられない症状なのである。治療方法としては、あまり深く考えずにうまく付き合っていく以外にないんだろうな。



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