壊れるアイデンティティ:社会性

自分が自分ではないような、子供の頃からずっと、今でも感じる。
アイデンティティが確立されないとそうなるらしい。

自分という存在が確立されない。
自分の居場所が無い。

どうして私はそうなのか考える。
行き着くのは確立を阻害した背景。

私には社会性が乏しい。
一時的には発揮出来るけれど維持するにはかなり心身を削らなければならず、結果を実らせることはとても難かしい。

どうしてなのだろう。

小学生の頃、よく遊ぶ仲の良いお友達がいた。
彼女の家は姉弟が多く、家に遊びに行くと当たり前の様に迎えてくれ、皆がそれぞれ過ごし、それはとても自然だった。

いつも遊びに行く側だったけれどある日私の家で遊ぶことになった。

彼女が家に来ると母は玄関先で遊ぶよう指示した。

私と彼女は玄関先で二人きり、それぞれ遊んでいた。

母はテーブルもない玄関間に飲み物とおやつを持ってきて置いた。
一緒に遊んだり、声を掛けたりなどしない。
母親としてきちんと遊ぶ場所を与え、きちんとおやつを与えた。

今も覚えている。
私はその時リカちゃん人形で遊んでいた。
人形を逆さにし、吊るされた状態で助けてー助けてーと一人で言っていた。

そこを通りがかった父が驚く。

「お前なんばしよっとか!あげんか玄関先でかわいそか!中に入れてやらんか!」

母は言った。
「嫌よ!子供は汚くするんだから!そこで十分よ!」

私が子供の頃お友達を家に連れてきたのは数えられる程度しかない。
その時のお友達も、家に来たのはその時が最初で最後だった。

いつだったか母が忌々しそうに言った。
「あんたも〇〇ちゃん(町の個人医院の娘)みたいな子と仲良くすればいいのに!」

中学の頃、お友達と初めて一緒に撮った写真を見せると言った。
「こんなお友達!恥ずかしくて親戚に見せられないわ!」

私の社会は母の眼鏡に叶わない。

長兄のお友達はよく家に来ていた。
お座敷で複数人走り回っていたのを覚えている。

一緒に遊んでもらいなさいと母に言われるがままお座敷へ行くと、長兄が嫌そうに言う。
「お前性格の悪かけんなー」

父も母も事あるごとに私に投げつけていた言葉。

幼稚園児の私は『性格が悪い子』として扱われていた。

我が家ではこれが普通で、だから私は長兄のお友達から性的嫌がらせを受けることになったのだと思う。

母は子供を家に上げるのがそんなに嫌だったのか。
私は兄のお友達が玄関先で遊んでいるのを見たことがない。

どうして。

私という存在は尊重されない。

子供にとって一番近く、一番の理解者で、一番の味方で、一番安心できるはずの母親。

その母親から尊重されない私が、どうして他人から尊重してもらえると思うのか。

社会的アイデンティティの不確立と、拭えない不安の確立。

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