壊れるアイデンティティ:自己肯定感

思い出せる限り母は私を否定しかしなかった。

嫌な子、可愛くない、私に似てない、嫌い、、、そんなことばかり。

いい子。可愛い。大事。大好き。
そんなに特別な言葉だと思わないけれど、私は掛けてもらったことがない。

子供が可愛くてほっぺにちゅっちゅする親は普通にいるけれど、
私は父のほっぺにちゅーしなさいと母から強いられていた。

ぎゅっとしてもらえる子供は普通にいるけれど、
私は父にぎゅっと甘えて機嫌を取るよう母から強いられていた。

母が一番大事なのは父の機嫌を損ねない、つまり、母が気分よく過ごせること。

他力本願の母が気分よく過ごすためには誰かを利用しなければ成り立たない。
母の所有物である私は格好の搾取対象だった。


母方の祖母は『私の祖母』ではなく『母のお母さん』だった。

年2回は会っていたけれど、私は祖母に甘えたことも、まともに話をしたことも無い。

成長と周りの話を聞くうちに、私と祖母との関係に違和感を覚えるようになった。

ずっと『普通』になりたかった。
だから祖母に孫らしく接したいと思った。

私が成人した頃には祖母は高齢で少し介助が必要だった。
皆がそれぞれ気にかけお世話をしていたようだ。

そんな頃、母が言った。
「おばあちゃま、手をずっとグーに握ってるのよ。それがティッシュを丸めて握っててなんか汚いの。」

『・・・汚い』
私は父方の祖母の事が思い出され、母のそのような言葉を聞きたくなかった。

介護用品に手のひらサイズのビーズクッションがある。
それを何年かぶりに祖母に会いに行った時プレゼントした。

何かを握っている方が落ち着くのなら心地良い物を。
ビーズクッションなら母も汚いとは言わないだろう。

そんな思いで渡した。
祖母は嬉しそうにしていたように見えた。

帰り道、母に話しかけた。

「おばあちゃま喜んでくれたかな?」

「・・・あぁ、・・・なんか、嫌そうだったわよ。」

「え?」

「まだ介護用品を渡されるような歳じゃないって思ってるんじゃない?」

私はまた間違った事をしたのだと自分を恥じ、やはり行動しなければよかったと後悔した。

黙り込む私の横で、母はそう言い清々しそうだった。

それから数年、祖母は肺炎で亡くなった。
92歳の大往生だった。

訃報を聞き翌日駆け付けると母が私に言った。

「あんたなんかこんな早く来なくて良かったのに。まだ誰も来てないのよ。なんであんたが一番に来るのよ!」

長兄はもちろん、従兄妹達はまだ誰も到着していなかった。

私は母が悲しんでいるだろうと思い、傍にいてあげたいと思い、急いで駆け付けた。

だけど私は間違っていたらしい。

普通は悲しむ場なのだろうけれど、私はいいようのない怒りに吞まれた。

嫌な感情が拭えなかった。
感情を抑えきれなかった。
それは結局、私は普通ではないのだという自己否定に着地した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?