Tシャツがびしょびしょになる

今週は苦手な家事を頑張りました。

まず、自分は眠くない必要があります。起きたというだけで身体から始められることは多すぎて、例えば視聴覚や予定を思い出すことなどがある。どれからやればいいのだろう。

まずシャワーを浴びることにするとちょうどいいと思った。
足の先にふれた水は冷たく、首まで冷やすことになる。シャワーを出すと初めお湯にならないので、外に出てリビングを見ると、洗ってない食器が溜まっていた。食器を洗うスポンジが古くなっていたから、戸棚から出して、そのまま洗い始める。音が鳴っているといい。きまぐれな曲をspotifyで流す。伝えられることばからの助けがある。歌っている人の声はきちんと人が歌う声で、口の中にたくさんの歯と舌があったし、それを動かすことになんの心配も必要ない。洗剤でこすったものとまだ洗っていないものをちょうど流し台の真ん中で整理して、左側にこすったもの、右側にそうでないものが集まり、手を動かすごとに右側にあるものが左側へと動いていくのを小さな流し台の中の一つの自然なこととすると、疲れた夕方にはあんなにめんどくさいと思っていた洗い物もあっという間に終わってしまう。

こんなにもたくさんの

カーテンを開けると外にある、三階のここからはあやとりの間違え方おさらいみたいな電線がずっと見えて、そのむこうにイトーヨーカドーがある。幼い頃、団地の目の前にあったけれどニュータウンから引っ越してから一度も見なかった。そういえばカレーを作るのに材料がないと思って買いに行く。
駅の近くにもスーパーはあって、そっちのスーパーの方がずっと近いからイトーヨーカドーに行くことはひとつの贅沢になっている。車の二車線ばかり広くて端っこの歩道がほんとうに細い踏切では、せまい道で転ぶと頭に車が乗ると想像して緊張してしまうから転びそうになる。足先が冷たくなるなら歩く人の群れに混じっていけばいいだろう。誰もが目的があるように歩いている。今の自分はカレーに向かって歩いている。みんな何をしに行くのだろう? 自分がそれを誰かに話さないように、あのひとも私には尋ねてこないだろう。けれど、私がイトーヨーカドーまでわざわざ歩いていけばあの人にまた会うことはあるかもしれない。
八百屋でバイトしているから、値段を頭の中でくらべてみるとイトーヨーカドーの野菜はあまりに高かったので買わないことにした。うちの特売品はずっと安いし、なによりそちらの方が美味しそうに見える。これじゃあまたイトーヨーカドーが遠くなってしまうなと思って、でもせっかく来たんだし何か買うべきかとフロアを見回っていると駅前のスーパーには売ってない良いお酒が置いてあったので思わず買ってしまう。上の階で、靴下を買って、フロアの中にあるブックオフで本を読む。こんなのんびりした街のスーパーにこんなにもたくさんの本が、しかも一度誰かに触れられたものが、と思って飛行機から市街地の風景が見えてきたときみたいな気持ちになった。読みたい本が置いてあるか探していた。アントナン・アルトー『神の裁きと訣別するため』があった。ちょうどこの前、身体ワークショップに行って体について学んだり、戯曲を書いていたところだったから気になって、その冒頭から読んでみると

krè 一本の毛にいたるまで puc te
krè すべてが       puk te
pek 炸裂する秩序のうちに li le
kre 整えられなくては   pek ti le
 e ならぬ        kruk
pte

そういえばシャワーを浴びるのを忘れていました。



学んだこと

・一日の流れはある程度固定化させて習慣化する

・リズムに乗れると続くので、まずはめんどくさくてもやってみる

・始めた作業は中途半端にやらない

・あんまり理由なく遠くまで買い物しない(重いと大変だし)


おしまい!

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