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余白について、しゃべりたい

唐突に、Stand.fmをはじめてみました。音声配信アプリです。

オーディオブックな会社で働いているので興味はあったし、 #PRLT の相方ハルカちゃんとは「トークだってPRの手法のひとつとして模索していかないとね」みたいな真面目な話はずっとしており、(実のところやってみたいだけなんですけど)ノリと勢いでアプリをインストールした。

その後いざ録音ボタンを押し、頭が止まった。

「一回目って何話したらいいんだ」

何事も、最初の一歩がとにかくむつかしい。頭の中でサイドブレーキがかかってる感じ。「この分野は素人なので…」「ダサい姿を見せてしまうんじゃないか」等々、いろんな言い訳が目の前をぐるぐると回り出す。
不特定多数に対し何者でもない人間が、第一声をどのように発すればいいんだろう。街頭演説中ヒラヒラ揺れてくれるノボリもないし。
けれど、一回目を乗り切ってしまえばなんてことはない、ということも年を重ねていく中でわかってきた。そこで横着なわたしは、「とりあえず一回目を乗り切るための一回目」を撮ってみた。

それがこれ。

(サムネのポストカードは、フランスの新印象派の画家マクシミリアン・リュスの描かれたノートルダム大聖堂です。最近点描画がアツい)

心配性なわたしはStand.fm内のあらゆる番組の第一回を履修し、第一回という作品が持っている共通要素を洗い出し、そもそもコンセプトもないのに発信するのマズくない?という至極当たり前の結論に至った。
なんのビジョンもないのにプレスリリースを打ち上げ花火のように出してはいかんぞ、なんて社内でギャンスカわめいたPR担当時代の自分に殴られそうだ。(詳細はStand.fm聴いてくださいな)

そんなこんなで、相方ハルカちゃんに壁打ちしてもらっている中で急に降りてきたテーマが「余白」だった。

余白、おもしろい

「何か欠けている」という事象に昔からめちゃくちゃ惹かれる。
ビルの建ち並ぶ都心に急にぽっかり現れる更地とか。続きが明示されない映画の終わり方とか。わたしはそれらを全部ひっくるめて「余白」と呼んでいる。(異論は認めます)

「余白」は、文字通り紙や画面で何も書かれていないところを示すが、視覚情報以外でも「音がしない」とか「不確実な部分」とか「情報が連続している途中に意図的に作る、情報のない状態」という、割と広い概念で使われている。

しかも「余白」というこのふしぎな概念は、様々な機能・効果を狙って用いられている。真っ白な空間から想像力を掻き立てられたり、不安になってしまったり…「余白」を通じて人はいろんな感情を味わっているんだ。

おなじ「余白」でも、示す先も効果も千差万別。
そんな切り口の多さにおもしろさを感じているのかもしれない。

わたしはWebサービスの企画・改善を仕事の主としており、趣味のダンスでは最近ずっと舞台の演出を組んでいたりする。
サービスの機能的な話にも、舞台の情緒的な話にも「余白」の話題は頻繁に出てくる。だから、ちゃんと言語化していくことは、この概念を武器として使うためのトレーニングにもなりそうだ。

ということで2回目は、生活リズムにおける「余白」の話をしてみました。

日常で見つけた「余白」について、これからもゆるっと話していこうと思います。
ちなみに相方ハルカちゃんは「オリジン」をテーマに話すそうです。こちらもご贔屓にしていただけるとありがたいです。

ではまた◎

読んでくださいましてありがとうございます〜