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自由であることを自覚しなければ、自由には生きられない

 今日は実に6時間くらい本を読んでいた。読むのが遅いのも一因だろうが、気に入った言葉をメモしたりわからなかったところを反芻したりしているおかげで一冊しか読めていない、、、

 その本というのが「セネカ 現代人への手紙」という本なのだが、大変面白かった。この本との出会いはいくつかの偶然が重なってのことである。たまたまYouTubeで哲学を解説している動画を見ていたら紹介されていて初めてセネカという名前を知った。そして次の日にたまたま図書館で手に取った「冒険の書」という本にもその名前を見つけ、読んでみようと思ったのだ。

 実際に読んでみると想像していたよりも100倍読みやすくて感動した。翻訳本には苦手意識があってあまり手に取らないのだが、この本は別格だった。翻訳技術の高さは言うまでもないが、原文の構成にもその秘密はありそうだ。セネカは哲学者であるが、いきなり抽象的な話を始めることはなく、必ず身近な出来事から具体的に説明してくれる。だからすんなりと理解できるのだ。

 内容は「死」や「時間」など身近なものが多く、その考え方もシンプルでわかりやすい。けれども、それを読むまで私の心の中には無かったものの捉え方が沢山登場する。そしてセネカが指摘するように、このような新しい考え方を知ってしまった私はもとの私には戻れないという不可逆性がある。

 そんなセネカの世界にどっぷり浸かっていたら私の脳内に突如現れたのが、今日の題名にした「自由であることを自覚しなければ、自由に生きられない」という言葉だ。もちろん反論があることはわかっている。ただ、教育の役割として私はこの自由に関する考え方が重要になるのではないかと勝手に思っている。これまでも「奴隷制などで自分たちが不利益を被っていることを気付かせて自立を促すために教育が必要」という論はよく耳にしてきたが、「自由とは何か」を押し付けではなくそれを考えられるような力を育てることは教育の役割の一つではないだろうか。

 

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