見出し画像

20210722 通院メモ 「充実」していたと思っていた記憶は、「軽躁」の状態だったと考えておいた方が良いみたい

ちょっと、ここのところ頭から離れないことがある。
ほぼ一週間前に書いたnote。

このことについて、充実していたことやそのときの特徴をリハビリの先生に振り返りの時に話してみた。

そうしたら、それらすべてのエピソードについて、
「まさに、軽躁の状態と捉えられるようなことばかりですね。元々ADHDも有りますが、ASDの積極群の特徴も持っていて、そこのところは双極性障害の特徴とそのままかぶっているところです。
充実していたことのエピソードから、そのままそれが得意なことと捉えるのは危ないかもしれませんね。なぜなら、そうした充実していたことのあとに落ち込むようなことはなかったですか?」

とコメントがあった。

こうした充実していた期間を軽躁状態と捉えたとして、その後にどんなことがあったのか、記憶をたどってみる。
そうすると、確かにしんどい時期はあったりもした。
ただし、双極性障害が発症してとてつもなくしんどくなったのは、苦手な仕事をし続ける必要があったときだった。

また、「慣れる」ことと「慣れないこと」の間に、「自分で納得できるかどうか」の要素があることも話したのだが、
「それ自体がADHDの性質として、考えた方が良いのではないか」
とのことだった。
自分の特徴としては、以前にも書いたけれど、考え方やシステムがガチガチに固まっているところに入ると、それが自分の考え方と合わない状態、納得できない状態の時にはものすごく負荷が高くなってしまうところがある。
ADHDの特徴として、アイデアが浮かんで来やすいというところともつながる。
しかしながら、
「双極性障害の再発を予防するためには、どちらかというとシステムをそのまま受け入れてなぞるだけの方が負荷が小さく、脳の使い方としてはそちらの方が良いのでは」
ということだった。

単純なことを繰り返すのが、脳にとっては負荷が小さい。
だから、出来上がっているシステムが有るのならば、願ったり叶ったりというように受け取ってみてはという提案でもある。

自分の職場の場合、そうしたシステムは既に問題が多すぎてどうしようもないところに来ていると感じている。
だからこそ、問題あるシステムをどのように変えていけば良いのかというところが常に意識としてある。
自分が引っかかるのは、その問題のあるシステムをそのまま受け入れることに納得がいかないところだったりする。
これまで充実していた職場では、そうした問題点を話し合ったりして変えていくことができた。
もしくは、新チームということで、作り上げていくことが出来た。
そうした過程を経ていないで途中から入ったチームだったりすると、やっぱり理解が追いつかない。

これまでの充実していた時のことを「軽躁」のエピソードとして捉えるのならば、自分はこれまで自分をコントロールすることなく生きてきただけのような気がして仕方がない。(まあ、これも自動思考なのだが)
そんなことはないとわかっていても、何だか自分を否定したくなる。
これまで頑張った自分も自分であるのはわかっている。
認めていないわけでもない。否定しているわけではない。
しかし、何だか今後のヒントになるかもと少し前向きになった思考だっただけに、ここでされなる冷静さを求められたことで、道に迷った感じがすごくある。

今後の人生、どうしたものか。
何を頑張れば良いのか。
何を求めれば良いのか。
何もない感じがして仕方がないという気分になっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?