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明日世界が滅びるとしても、今日あなたはリンゴの木を植える~町田樹という物語の終わりと始まり~

町田樹の引退公演は2018年10月20日だった。あれから4年。時々、解説記事で、町田樹らしい現在形を見掛けたりする。これは、あの時の感動の備忘録。途中でとても失礼な表現もあるが、屈折した私なりの想いのたけということで、敢えてそのままにしておきたい。

町田樹のプロスケーター最後の作品は、マーラーのアダージェットに乗せた「人間の条件」というものだった。

あまり高額でない、遠い席で観ていた。そんな遠い席までも町田の心が伝わってくるようで、観客はたくさん泣いた。私も涙が止まらなかった。町田は自分の引退公演、1度きりのそのために9分30分のこの作品を産み出した。こんなにも自分のスケーターとしての物語を、きちんと終わらせるスケーターをみたことがなかった。

自分が町田の引退公演をわざわざ観に行くなんて、昔は思いもしなかった。あの、広い広いさいたまスーパーアリーナ中に届いた町田の想い。あの空気感のなかに居られて良かった。

町田のことは長らく、全然応援していなかった。光るものはあるけれど、世界的にもハイレベルな日本男子のトップクラスには至らない、全日本選手権までが舞台の選手だろうと思っていた。けれどソチオリンピックシーズン、町田はとても安定していた。私は小塚のスケートが好きだったから、小塚のオリンピック出場を脅かす町田に好感が持てなかった。小塚のことがなくても、正直なところ、そもそも町田は好きじゃなかった。

高橋、小塚、羽生と、容姿に恵まれたトップスケーターたちのなかで、町田はビジュアルがイケてなかった。多過ぎる髪の毛はいつも決まらない。イケメンじゃない上に、いつもお肌の調子が悪そうだ。体型も、小塚や羽生と並ぶとどうにも見劣りがする。込めたい想いはあるのかもしれないが、演技として表現しきれていない。インタビューの深遠なる言葉に実力は追いつかず、ナルシストっぽいべったりとした喋り方は、当時どれだけの失笑を買っていただろうか。

あの頃の町田を見るたび、内心思っていた。やっぱりフィギュアって、容姿の損得があるよな。どうしても、町田はビジュアルで後れを取ってしまうよなって。

結局、ソチに出るのは小塚ではなくて町田になった。私は小塚の美しいスケートをもうオリンピックで観られないのが惜しかった。けれども、ソチでも町田が町田らしく「火の鳥」で体をピクピクさせているのを見たら、この人はこのまま羽ばたいていけば良いんだなと、初めて町田嫌いが収まってきた。

翌シーズンの町田のプログラムは魅力的だった。とりわけフリープログラムの「第九」は良かった。いつのまにどれだけ努力をしたのか、町田は想いを身体で表現できるようになってきていた。緩急をコントロールでき、ポジションのひとつひとつが美しかった。歓喜の音楽が、町田のステップから紡ぎ出されるみたいだった。けれど、町田は全日本での「第九」を最後に、現役引退を決めた。

フィギュアスケートファンからしたら、現役引退とは一線を退くことを意味するものに見える。けれど、町田には業界の常識ではなくて、町田自身の物語があったのだと思う。大学院で研究をしながら、町田は1年ごとに、大切に作品を送り出した。そして、プロスケーターを引退するために、2018年10月6日に3つの作品を踊った。

町田の最終作「人間の条件」は、不条理な運命に抗してでも生きようとする人間の尊厳を表現した、彼にとって究極の人間賛歌とされている。町田は自ら振付をして、照明などもとても細かく打合せしディレクションをして、流れていく演技ではなく、後に残す作品として「人間の条件」を滑り切った。おそらく(とはいえ間違いなく)テレビ放映でのアナウンスも、町田のディレクションによるものだろう。

そのような解説は後から知るものだけれど、前知識がなくてもあの場にいただけで、町田が最後に観客に伝えようとしていることがものすごく伝わってきた。序盤から目を逸らせず、涙も止まらなかった。本作の中で町田は二度転ぶ。けれども、転倒すらも作品の要素みたいに見える演技が稀にあるものだ。浅田真央のバンクーバーの「鐘」みたいに。「人間の条件」は、見るだけで生きる勇気が湧いてくるような、町田自身が言う通り、彼のスケート人生の集大成というべき唯一無二の作品になった。

私は、ずっと応援してきた浅田真央の「ソチのラフマニノフ」を何十回も観ているけれど、きっと、この町田の「人間の条件」も、折に触れて観ることになるだろう。

町田樹は醜いアヒルの子のようだった。開花するまで長年もかかり、町田語録を笑われ続けながらも自分の内面とひたすら向き合い続け、それを表現することに集中し続けた。

やがて町田の世界観は身を結び、忘れがたい幾つもの作品を残した。そして、誰とも比較されない、完璧な幕引きでスケーターとしての物語を終えた。

その生き様は、私を含め、多くの人を勇気づける。

人生はいつもスマートじゃなくても良いのだと。思い通りに行かなくても、自分の中の美しいものを大切にして、真っ直ぐ歩けば良いのだと。

町田は最後に、美しい白鳥になってリンクから飛び立っていった。彼はきっとこれからも、彼の新しい物語を真摯に紡いでいくのだろう。

私もいつか、白鳥になれたらそれでいいのだ。今日苦しくても、明日まだ愚かでも、別にいいのだ。手に入らないことはたくさんあるけれど、生きることを諦めなければ、いつか自分なりの花は咲く。失笑されても貫けるものを、私も持ちたい。


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