お金は生きる上で本当に必要なものなのか?

ちょうど時期的に経済破綻しかねない状況でこの記事にたどり着きました。
最近もやもやしたものがちょっとすっきり。

・お金とはなんなのか

・労働と報酬

・お金と商品

例えば旅館の場合。今未知の流行風邪により、人の流れが止まり、キャンセルが相次ぎ、お金の流通が止まり、会社は利益が無くなり、経営が破綻。会社が潰れ、収入が無くなり、税を納められない。生活品を購入する事が出来なくなり、生活が困窮。生命の危機。その流れが会社・自治体・国へどんどんループして波及。。。

普通であれば、上位の金庫からの補償で、なんとか立て直しますが、今回のように同時に多発すれば、さすがに上位者の体力が不足し、破綻しかねない。

今僕はサラリーマンとして、自分の時間を割いて、会社の商品のために、知識を提供し、報酬としてお金を得ています。しかし、この労働に対して、この報酬は適切であるのか非常に謎です。労働に対して得られるお金は、見合ったものになっているのか。世の中では、お金を得るために様々な手法があります。


生きるために必要な飲食物の提供。

生活を豊かにする為の道具の提供。

他者よりも優越に浸るための豪華装飾品。

楽しみ、自己啓示、承認欲求等の娯楽の提供。

お金を得るための知恵を授ける情報商材。

お金を得るための犯罪。

今の生活にはお金が常に付きまといますが、人が生きる上で、本来不要な物にもお金が発生していると感じます。

お金があるために無駄な争い・心配・犯罪が発生している気がします。またお金を得るために、非生産的なものが横行しているとも感じます。

本来労働とは、お金を得るためではなく、自分以外の誰かを豊かにした際に感謝される事だと思うのです。それを定量的な数字で置き換えるために、お金ができたはず。しかし、今は正当な基準でお金という報酬が発生しているのか不明。商品に見合ったお金を支払っているのか不明です。

お金とはなんなんでしょうか?謎です。

冒頭での経営破綻の件について、一時的な営業停止により、そこで働く人は、働く場所・収入源を失ってしまい、生活が出来なくなってしまいます。それはお金という概念があるからです。物理的には、働く場所・必要な技能は失われていないのに。時が過ぎれば再稼働出来るはずなのに。一時的なお金の流通が止まるだけで混乱が生じてしまう。

目先のお金を優先して生命の危機を蔑ろにしてしまう判断を行ってしまう。

労働の対価としてお金が当たり前、業務量・人々への貢献度には比例せずに、お金が報酬として与えられる。そこには碌に生産を行わない人間も報酬を得ていたりする。

生きる上で必要ないものなのに、そこにお金を払い、支払いを行った後に自分に不要なものだったと気付き。自分が今まで得た報酬を無駄にし後悔をする。

なんだかお金のせいで今の世の中は歪みはじめている気がします。

そんなもやもやした気持ちを持っていた時、前澤さんの記事を見つけました。お金の概念に縛り付けられない世界になれば、今より生産性のある、お金に起因するトラブルが無くなる世界が可能になると僕も思います。

僕が生きている内にお金が無くなる世界を実現してほしいです。やや共産主義の世界になる可能性もありますが、それとはまた別の思想で。あくまでも全人類が同じ思想を持てた時にやっと達成できる世界だと思います。思想の統一のためには、暴力による支配が手っ取り早いですが、それではなく、あくまでも人一人一人がその思想に気づけないとだめだと思います。

前澤さんには、早くお金を貯めて、実行段階に移してほしいです。この世界的に混乱しているピンチこそ大変革のチャンスだと思います。まずはヒッピーのようなこじんまりとした、小規模集団からスローライフの実行の開始でもいいと思います。同じ思想を持った有志で、不足しているものは、作っていけばいいのです。





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