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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(7)- 私のハートに火をつけたのは -

運命のターニングポイント

女子4人で「数十年前の日本もこんな感じだったのかしらねー」などと言いながら街を歩き様々なカルチャーショックを受けてホテルに戻った。じゃんけんでシャワーの順番を決めた。

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そう。このシャワーが私のターニングポイント。
・・・に繋がる。

一人目、二人目と順番でバスルームに。

バスルームから突然、「きゃ~!」と叫び声。

「どうした?」「何があったの?」
「お湯が出ないーーー!!冷たいーーー!!」

服務員を呼ぶ。その当時の上海のホテルにはコンシエルジュだのハウスキーピングだのの区別は無い。全てを服務員と呼ばれるスタッフがこなす。

今回の旅の主役は短大卒業の二人。私ともう一人は四年制大学。そのもう一人Kちゃんは某私大で中文専攻。上海は中国語だからKちゃんが担当、香港は英語が通じるそうだから私が担当、と旅が始まる前に役割り分担してあったので、服務員を呼ぶところからKちゃんの死闘が始まる。

服務員が来た。
え?これが服務員?
このゴツゴツザラザラの手にこの日焼けっぷり
どう見ても       やん?

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樵だろうがなんだろうが、この危機を一人で打開するしかないKちゃんは身振り手振り筆談で「お湯が出なくなった」と訴える。Kちゃんの頑張りにより案外すんなり伝わった。樵服務員が言う(のをKちゃんが私達に訳して伝えてくれた)。「ウチのホテルのシャワーは朝7時から8時と夜6時から8時しかお湯が出ない。今日はもう8時過ぎてるから時間切れ。」

どよよーーーん・・・一日3時間しかお湯が出ないなんてありか・・・。
一日中いつだって好きなだけ水もお湯も使える日本に生まれ育ち、まさかそんな制限がある世界があるなんて想像もしなかった。これより数年前に行ったワシントン大学の学生寮だってそんな制限無かった。

樵服務員に一人で対峙するKちゃんから数歩下がって何がどうなっているのか固唾を呑んで見守っていた私達3人。樵服務員が突然私達3人を指差して
「ガハハハーッ!この子は俺と話そうと必死で頑張ってるのにお前ら3人は突っ立ってるだけで《木偶の坊》だなー!ガハハハーッ!」と大口開けて笑って出て行った。

その時の私は、中国語にはほとんど触れたことがなく、かろうじて「ニーハオ」だけは知っていたのと、「ソフィはトイレが超近いから、これ持っときなさい」とKちゃんがカタカナピンインまで書いて渡してくれた「廁所在哪里?(ツァーソー ツァイ ナーリー)」しか知らなかった。

なので、上記のセリフ前半部分は私の憶測でしかないが、《木頭人(ムートウレン》という単語が木偶の坊の意であることは一瞬のうちに本能で理解した。中国語も解せぬのに何故か発音もずっと耳に残った。

ボワッ!  と火が付いた。瞬間湯沸かし器。

「ちっくしょー!歯抜けのオッサンに木偶の坊って笑われたー!悔しいー!Kちゃん!私、日本に帰ったら中国語勉強するから教えて!絶対にあのオッサン見返してやる!」
(註)大口を開けた樵服務員は前歯が3本無い文字通りの歯抜けだった。

若気の至りとはオソロシイもので、若さ故の自信過剰な心を《木頭人》の一言で打ち砕かれた私は、樵服務員を見返すために中国語(普通話)を勉強すると心に決めたのだった。

暫くしてドンドン!とドアをノックする音。「今日はもうこれでなんとかしなさい。一人1本ね。」と樵服務員が魔法瓶4本の熱湯を持ってきてくれた。かたじけない、樵服務員。歯抜けのオッサンなどと言ってすまぬ。しかし、マジで歯抜けだったし。ということで、その夜は無事にシャワーを浴びられた一人を除いた3人で魔法瓶4本の熱湯を分け合い、水で温度調整しながら使って体を拭いた。

翌日からは何が何でも夕方6時前には全員部屋に戻って待機、6時になった瞬間に一人目がバスルームに入る。2時間を4人でシェアする、つまり一人当たりの制限時間は30分。残り10分と5分の時にはバスルームの外から「残り時間10分!」「あと5分よ!」コールをかけてドタバタ次の人へ明け渡すという今となっては笑い話なバスタイムを過ごした。

ここでもまだ広東語に行きついていないけれど、回り回って結果として広東語に辿り着く前のターニングポイントは長年の友人のKちゃんではなく、一期一会の樵服務員だった。樵服務員が歯抜けだったおかげで私のハートに火が付いたのだから、やはり私の人生の重要人物の一人としてリスペクトしておく。(続)

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