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「所詮人間」4年・松村勇人

こんにちは。

自粛期間中にヒゲを伸ばしすぎて原始人化していた3年の松井から紹介を与りました、4年の松村勇人です。大学1年の6月以来、部内でチャナティップと呼ばれているので、本名を知らない方も多いかと思いますが、マツムラ ハヤトです。1年生に関しては、誰1人私の名前を知らなそうだったので、ついついリマインドしてしまいました。

今回のブログでは、私のサッカー人生を振り返っても面白味がなさそうなので、大学入学してからに絞って話した上で、今季の目標に繋げたいと思います。



1年の時は、とにかく雑用をやっていた。早く来てボールに空気を入れ、練習の合間に走ってマーカーを拾うなど、誰にでもできることで先輩に褒めてもらえることが快感で、もはや練習と同等に力を入れていた。雑用で変に自信をつけた私は、学年リーダーに立候補したが何も上手くいかず、雑用とリーダーシップが別物であることを身に染みて感じた。

2年になると、力を入れていた雑用がなくなった。上智大学体育会サッカー部でよく言われていた、「プレーで貢献できなければ、何で貢献するの?」が胸に深く突き刺さり、アイデンティティー喪失の危機に瀕している時に審判と出会う。雑用同様、みんながめんどくさがることをやることで何とか自分の存在意義を確かめていた。

3年の秋頃から就職活動が始まり、「私は学生時代、〇〇に力を入れてきました」なんて話をしなければいけなくなった訳だが、そこで自分がやってきたことにいまいち自信を持てなかった。自分なりに一生懸命やってきたはずなのに、文字に起こすとただ受け身のやつでしかなくて、悔しかった。それでも、3年の最後にはIリーグのキャプテンを務め、チームが試合を重ねるごとに内容が良くなっていった時は、大学サッカー史上最高と言っていいほどサッカーを楽しめた。

4年では、Bにいる数少ない4年生の中心として運営をやりながら、ラストイヤーに個人としての良い成績を残すために頑張っている。


振り返れば、かなり「後輩」に徹した1、2年生だった。今の自分を作ってるのは間違いなく過去の経験だから否定する気は全くないが、その頃にチームを俯瞰視する癖ができてれば、3、4年になった時の運営がもっと上手くできたと思った。

では、なぜ受け身になってしまったのか。

自分の結論としては、上述した、「プレーで貢献できなければ、何で貢献するの?」という言葉に囚われすぎていたからだと思う。この言葉は、受け取り方次第ではすごくポジティブな言葉だし、運営する立場になり、言葉の真意がなんとなく分かってきた。

人が集まってできるのが組織であり、組織の構成員はお互いに作用しあっている。だから、ピッチに立ってチームを勝たせることができなくても、チームに貢献する手法は無限にある。特に学生主体で運営してる上智大学体育会サッカー部では、構成員のオーナーシップ(当事者意識)次第では、1人1人にチームを変えられるチャンスがある。おそらくこの言葉の真意はそこであり、このことは学年が上がり、チームに関わるようになればなるほど痛感するようになった。


幹部がBの試合を観に来て、全力でサポートしてくれた時

ずっとBだった選手がリーグ戦初出場を果たした時

練習メニュー考えていたらGMの後輩がめっちゃ手伝ってくれた時

同期の熱いブログを読んだ時


挙げ出したらキリがないけど、日常の中の1つ1つの場面が自分のモチベーションに大きく作用している。こんなことでと思う人が多いかもしれないけれど、人間とはそんなものだ。だから、チームのため、個人のためを問わず、1人1人の頑張りは必ずみんなの原動力になるし、そうしてお互いが高め合う好循環が生まれ、更にいい組織になっていけば我々の理念や目標も達成されるはず。

組織に関わればその分だけ恩恵を受けられると思うので、下級生のうちから組織に深く関わっておくことをおすすめする。


最後に、今季の目標としては、1プレイヤーとして試合に出て活躍したいという気持ちと、最高学年としての責任感を持ち合わせた選手になることとする。以前のブログにも書いたけど、運営する学年になるとどこかアグレッシブさに欠けてしまうことは毎年見受けられる。運営ももちろん大事だが、カッコ悪くてもいいから、謙虚に1プレイヤーとしての意識を持ち続け、誰かの原動力になれるよう努力していきたい。


口だけのブログだけにはなりたくないので、今シーズンの目標に反する姿勢が見られたら、私のメンタルが折れない程度に指摘してください。


さて次回のブログは、兵庫のディ・マリアと言えばこの男、2年三木健聖です。

#上智大学 #サッカー #学習院 #部員ブログ

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