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皆さまの素晴らしい記事や素敵な記事。私のおすすめ記事です。

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私が、良いな素晴らしいなと思った皆さまの作品や記事を勝手に展示しています。そして私以外の多くの方にも、もっともっと知っていただきたいなとの思いで(私の記事などよりも多く読まれてい… もっと読む
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2021年2月の記事一覧

うちの猫さんとの出会い

こんにちは もうすぐ2月22日、にぃにぃにぃ で猫の日。実は私がうちの猫さんと出会ったのは翌…

ai
3年前
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一見役に立たない物

今朝、玄関先を掃いてて、落ち葉が、何度掃いても 落ちてくる。 一見厄介な物である。 でも、…

宮島廣子
3年前
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子供に教えられた事

私の子供は、小さい頃から、体が弱く 中々身体も、大きくなりませんでした。 母の、私として…

宮島廣子
3年前
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リアル【エッセイ】六〇〇字

 映画は実話ものが好きだ。エンドロールで、「〇〇さんは、その後———」と出る。不幸な人生…

菊地正夫
3年前
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猫の日に。お久しぶりの猫たちの近況報告

今日は2月22日。どこかの猫エサ会社の作ったものらしいけど、にゃんにゃん猫の日なのでご無…

遠い記憶 第二話

微かな、記憶をたどり、 私の目の奥に、残る映像は、 角部屋の、窓越しに見える行き交う、人…

宮島廣子
3年前
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遠い記憶 第一話

東の道路と、南の道路の角の家。 両面に面した窓、 その脇に無数のタバコが並ぶ、 窓の外には、人が行き来する。 六畳ほどの、部屋だったろうか 真ん中には、おこた。 その奥にも、六畳ほどの座敷、 その間に、玄関 おこたの北側に台所と土間 その北側に、五右衛門風呂。 祖母が、ほら食べんねと、食パンを焼いて マーガリンに砂糖をまぶし、塗ってくれた。 祖父は、優しく目を細めていた。 ただ、 父と言う人の姿は無かった。 母と言う人の顔も無かった。 それが、私

エッセイ)勝つ為に

『相手より楽しんだ方が勝つんですよ』 S君は口癖の様に、この言葉を使っていた。 私は3年前…

kesun4
3年前
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息子がきゅうりを初めて食べた日、育てるのは親だけじゃないなと学んだ

息子は、好き嫌いが多い。 給食では本人なりに頑張っているようだけど、母としてはもう少し何…

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私が母校を選んだ理由は「日当たりがよかったから」だった

「そんな理由、書けるわけないだろう」 そう担任に呆れられた高1の夏。 正直に答えただけなの…

夜川 うそ
3年前
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【短歌・俳句】梅見月によむ

 山梨県は葡萄や桃の産地だ。春を実感する日の多くなる最近では、桃や桜に先んじて、梅の花が…

兄弟航路
3年前
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海に流した仔猫

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ お婆ちゃんの口から驚きの言葉が出た。 「信子!う…

ゆういち
3年前
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幸せに暮らしている事を願う資格

 私はこれまでの生涯で一度だけ、「ラブレター」を貰った事があるんです。「ずっと好きでした…

僕は、そう想う。ドキュメンタリー映画「生きろ 島田叡(あきら)―戦中最後の沖縄県知事」の試写会に行っての、素直な感想だ。僕は、死ぬのはイヤだ。とくに戦争で死ぬのはイヤだと想う。

玉砕こそ美徳という思想に覆われた、 1940年代のアジア太平洋戦争末期の日本。 僕は、当時の「お国のためにという考えには共感できない。 僕は、自分のために、美味しいものを食べたいし、エンターテイメントの映画に身体の奥でドキドキしたいし、恋愛小説を読んで淡いこころにキュンとしたいのだ。 「安保関連法制(戦争法)」が成立した現在、九州の南は与那国、石垣島、 宮古島への自衛隊の配備がすすんでいる。 軍事化が推し進められ、 アジア太平洋戦争の悲しい沖縄戦再来もなきにしもあら