「自尊心に対する安全」を守る——國分功一郎氏と松本俊彦氏の孤独・孤立への処方箋
哲学者の國分功一郎氏と精神科医の松本俊彦氏による「孤独・孤立」についての対談である。スピノザやアレントといった哲学者の専門家である國分氏による孤独や退屈に対する深い洞察と、依存症治療が専門の松本氏による依存症と孤独の関係についての洞察が対談によってかけ合わされて、非常に濃密な文章となっており、何度も読み返したい文章である。
國分氏によると、哲学者ハンナ・アレントの孤独(solitude)と寂しさ(loneliness)の区別が重要であるという。人は孤独であるとき自分自身と一緒にいるのだとアレントは言う。そして、孤独の中でこそ人はものを考えることができる。というのも、ものを考えるとは自分自身と対話することだからである。ところが、人は自分自身と一緒にいることができない場合がある。誰か一緒にいてくれる人を探してしまう、そのときに人が感じているのがloneliness、寂しさだという。近代社会は都市生活の中で人をlonelinessの中に追いやって、孤独の中で自分自身と向き合う時間を奪う、あるいは、向き合うことが苦手な人間をつくってきたとアレントは考える。
松本氏によると孤独・孤立と依存症には深い関係があるという。孤独を癒やすために患者は何らかのものに依存している。依存するものがあるということ、依存先があるということには悪くない側面もあると松本氏は考えている。コロナ禍で失われたものの一つが「何となくの接触」としての依存先である。児童・生徒であれば、放課後に友だちとふざけたり、帰りに寄り道したり、掃除の時間に先生と話したりといった「名前のないかかわり」、インフォーマルな交流である。コロナ禍でミーティングがオンラインとなり失われたのも終了後の「何となくの接触」である。駅まで話しながら帰ったり、途中で無駄話をしたり。喫煙者である松本氏と國分氏は、喫煙所での交流もこうしたかかわりの一つと考えている。ミーティング後に親睦を深めるちょっとした交流は「フェローシップ」と呼ばれ、ミーティングそのものと同等か、それ以上に重視されてきたと松本氏は言う。
松本氏は、依存症の回復には対面が大切だと強調し、むしろ「三密」と「不要不急の外出」が重要だと皮肉をこめて述べる。コロナ前は、患者さん同士が診察後も待合室にダラダラ残っていて、「診察が終わったら病院近くのファミレスで話そうぜ」といったこともあった。しかし、コロナ後の現在は依存症治療の場にも「余白のない」状況が訪れているという。コロナ禍で私たちの生活は「余白のない」生活になってしまったのではないか。
そしてこれは、國分氏が指摘する医療による人間の「生権力的支配」ともつながっている。哲学者フーコーが指摘した「生権力」とは、人々を恐怖で従わせるのではなく、むしろケアすることで管理していく権力のあり方である。コロナ禍によって政府による国民の生権力的支配は強化されたのではないか。また、医療者が公衆衛生上の観点から三密の回避や接触の危険性を叫ぶのも同じことである。ここには「生権力」の拡大があり、「公衆衛生ファシズム」のような状況に陥っていると國分氏・松本氏は語る。
公衆衛生ファシズムや健康ファシズムに医療者が陥ってしまうと、医療者は健康のためと考えながら患者を傷つけていることもある。たとえば糖尿病のコントロールが悪い人たちが貧困であったりコミュニティの中で孤立していたりする場合がある。そうした人たちを「意志が弱い」「だらしがない」とバッシングするのは間違っているのではないか。医療者が患者に「正論」を言うことで患者を傷つけることを、松本氏は「治療トラウマ」という言葉でも表現する。治療トラウマを経験した依存症患者は、医療機関にはあらわれなくなる。その結果として孤立してしまい、病気を悪化させてしまう。
重要なのは生権力的支配に慎重になりつつ、目指している「安全」が誰のための安全なのか、どのような意味で「安全」を考えていくべきなのかといったことである。権力側にとっての安全であれば、それは容易に「管理」となり生権力の強化につながる。もちろん、当事者のための「安全」が重要なのであるが、それをどのような意味での安全と考えるのか。それを松本氏は「自尊心に対する安全」ではないかと表現する。それは「自分の考えや気持ちを否定されたり、説得されて変えることを求められたりしない」安全、あるいは「健康であることを押し付けられたりしない」安全である。
松本氏は、患者さんはさまざまな愁訴でくるけれど、本当は診断・治療を求めてではなくて、寂しくて困っていたりするから来るのではないか、と感じているという。だから、行動変容を迫ったりすること自体が今の自分を否定されることにつながる、という。ただでさえ自己評価が低い人たちにとっては、また自尊心を傷つけられてしまう。現在の状態を医療者が変えようとすることで、思い通りにならない人たちが孤立してしまう。「健康問題の形をとりながらの差別」があることに、医療者自身が敏感にならないといけないと松本氏は語る。
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