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理想の国家体制を考えるときの「条件」への着目——アリストテレス『政治学』を読む

したがって国家体制の場合にも、次のようなことを考察するのは、明らかにみな同一の学問に属することなのである。すなわち、最上の国家体制というのはどれであるか、そしてまた、外からの障害がなにもない場合、どのようなものであれば最も理想に近いものであるか、またどの国家体制がどの人々に適合するかを考察しなければならない。というのは最善の国家体制を得るということは多くの人々にはおそらく不可能なことであろうから、したがって無条件に最善の国家体制となるものだけでなく、現に与えられている条件からみての最善のものが何であるかということをも、すぐれた立法家や真の政治家である以上は見逃してはならないことになるからである。(中略)
というのは、われわれが考察しなければならないのは、単にどんな国家体制が最善のものであるかということだけではなく、さらに現実に可能なのはどんなものかということも、また同様に、どの国家にとってもより容易に達成しうる、より共通なものはどれかということもだからである。(中略)
しかし、いましなければならないのは、現にあるものをもとにして、そこから新しいものを生みだすのに、人々が説得に応じてそれを可能にするような、そういう体制を導き入れることなのである。

アリストテレス『政治学』中公クラシックス, 中央公論新社, 2009. p.128-129.

アリストテレス(前384年 - 前322年)は、古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。様々な著書を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。

アリストテレスの『政治学』(希:ポリティカー、英: Politics)は、政治学や政治哲学の古典的な著作である。構成は理想国家を論じた第1巻から第3巻、現実国家を論じた第4巻から第6巻、そして国家一般を論じた第7巻から第8巻から成り立っており、どれも異なる時期に作成されたものを編集したものである。

最善の国家体制とは何かを考えたプラトンによる『国家』の理想政治の議論とは反対に、アリストテレスは現実政治に着目してその国家体制を分類する。その基準は統治者の数と統治の目的から六つの分類法を提案している。それは単独支配、少数支配、多数支配と公共のための統治か私事のための統治かという二つの基準を組み合わせたものである。公共のための単独支配は王制、私事のための単独支配は僭主制、公共のための少数支配は貴族制、私事のための少数支配は寡頭制、公共のための多数支配は国制(共和制)、私事のための多数支配は民主制である。

冒頭の引用は、第四巻からのものである。この巻からは、現実の国家体制・政治はどのようにあるべきかが論じられる。多くの人は「王政がよい」「貴族制がよい」「共和政がよい」とさまざまに論じているが、そのどれにも長所があり短所がある。一概にどの国家体制が最善のものであるということを論じることはできないというのがアリストテレスの意図である最善の国家体制を無条件に論じるのは意味がなく、現に与えられている「条件」からみて最善のものはどれであるのかということが重要とされる。つまり、現実に与えられた国家体制について、それが初めに成立可能だったのはいかなる条件下においてであるか、またそれが成立後、できるだけ長期にわたって安全を保ちうるにはどうすればよいのかを考察することが重要となる。

また、そうした個別の条件下での最善の国家体制を検討しつつも、すべての国家に共通して最も多く適合する国家体制を見つけ出さねばならないともアリストテレスは述べる。つまり、現実主義にたちながらも理想主義を捨ててはいないのである。さらには、改善主義としての立場、つまり、現にある国家体制をもとにして、そこから新しいものを生み出すために、人々が納得するような国家体制を導入することが重要だと説く。そのためには、それぞれの国家体制の違ったあり方について、それがどのような種類と特徴があり、またどのように組み合わされて存在するのかを検討するべきである。また統治者と非統治者の性質や関係性だけでなく、それらを補完するものとしての法律についての検討が詳細になされる。法律についても一番すぐれたものと、それぞれの国家体制に適合するものを知らなければならないとする。

プラトンが『国家』で述べた「哲人王」による統治という理想をかかげたのに対して、アリストテレスは非常に現実主義的である。プラトンにおいても、僭主制、寡頭政、民主制の三つの国家体制について論じられ、それぞれの利点と欠点が検討されていた(プラトン『国家』に関する過去記事も参照)。アリストテレスからすれば、その論じられ方は不十分であり、偏った見地からされていたとみなされていたであろう。アリストテレスの論じ方は非常に網羅的であり、あらゆる国家体制に関してさまざまな視点や条件からその長所と短所が検討されている。ほとんど反駁の余地を残さないほどに網羅的だと感じる。しかしながら、プラトンの語り口に対してアリストテレスの著作は「面白みに欠ける」と感じてしまうところもある。網羅的であるがゆえに、とても教科書的なのである。

プラトンは晩年、自らの「哲人王」の理想と理想の政治を実現させるために、シケリア島のシュラクサイへ旅行した。シュラクサイの若き僭主ディオニュシオス2世を指導して哲人政治の実現を目指したのである。しかし、プラトンが到着して4ヶ月後に、流言飛語によって王が追放されてしまい、不首尾に終わる。その後3度目のシュラクサイ旅行を行うが、またしても政争に巻き込まれ、今度はプラトン自身が軟禁されてしまったという。そのような師の晩年をみながら、若きアリストテレスは何を思ったのだろうか。

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