スマホに宣告された余命

17時22分、私は翌日の朝6時にアラームをセットした。その時スマホの画面には「アラームは今から12時間38分後に鳴動します。」と表示されていた。今日の自分の余命が宣告されているようで、背筋に冷たさを感じた。



私は、過去の自分を他人のように感じているので、今の自分だけが自分であるという意識で生活をしている。過去の自分を他人だと思っているからと言って、記憶や思い出を大事にしていないわけではなく、今の自分が過去の記憶や思い出を大事にしているということだ。


過去の自分を他人のように感じているというのは、過去の自分が何を考え、何を思って行動したのか、その心理を今の自分が正確に判断できないという点で、他人のように感じるということだ。もし、未来の自分がタイムスリップしてきて、「お前の考えていることは全部わかっている」と言われても、「いや、そんなわけないでしょ」と思うだろう。今の自分にとって未来の自分が自分ではないように、過去の自分にとって今の自分は自分ではなく、他人なのだと思う。

寝ている時に見る夢や、暇なときに繰り広げた妄想も過去の現実とあまり大差なく大事にしている。今の自分にとって、夢か現実なのかは重要ではなく、思い出として次の自分に引き継がれるかどうかが重要なのだ。私の過去の記憶の中には夢だったのか現実だったのか、わからくなっている記憶があるし、妄想の中で楽しんだ思い出もある。現実を贔屓したりはしない。



ここで、スマホのアラームに話を戻そう。


「アラームは今から12時間38分後に鳴動します。」とは、明日の自分が12時間38分後に目覚め、今日の自分は明日の自分にとっての昨日の自分になる。これは私のイメージや感覚の話なので理解しようとしなくても大丈夫、こいつはこんなこと考えているんだと思って頂ければ充分だ。

私にとって、今日の自分の終わりは、起きてから寝るまでではなく、明日の自分がその日の始まりを意識するまでで、昼寝とか夜中に目が覚めたときはまだ、今日の自分が続いている。今日の始まりを意識した瞬間、自分の中で昨日と今日が切り替わる。


私にとってアラームが鳴動するまでの時間は、今日の自分に残されている時間なのだ。


「12時間38分」、これを長いと思うか、短いと思うかは人それぞれだが、私にとって問題なのは時間の長さではなく、残り時間を意識してしまったということだ。過去には戻れない、一日は短い、時間は大切、そんなことはわかっているが、いざ残された時間を突き付けられると、今までの時間の使い方やこれからの時間の使い方を考えてしまい、何かしなければいけないのではないか、過去の時間の使い方は正しかったのかなど、不要な焦燥感に駆られてしまう。


本来は何か成し遂げなければいけないという考え方自体が間違いで、何も成し遂げなくとも幸せならばそれでいい。他人からの称賛は素直に喜び、他人からの非難は価値観の違いとして理解するだけでいい。私の物語は地味かもしれないが、「あのシーン良かったよね」と言ってもらえる出来事がいくつかあればそれで幸せだ。


冷静になれば自分にとっての幸せを理解できるのだが、残り時間を突き付けられると焦ってしまい、間違った判断をしてしまうことがある。皆さんも迫ってくるタイムリミットに焦らされた経験があるのではないだろうか。常に冷静でいることは難しく、わかっていても焦ってしまうことはある。そこで、自分が焦っていることを理解し、もう一度冷静になれるかどうかが大切なのだと、この文章を書きながら思った。



その日起きた出来事と、その時の感情を文章にして残しておくと、同じ状況が起こった時、今までよりも冷静でいられる気がする。この文章は、今日の自分が明日の自分に託す引継書なのだ。

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