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Life Story 1  将来の夢はスチュワーデス

私のファーストキャリアはANA国際線の客室乗務員だった。
未だに人気がある職業で、人からはある種のイジりも混じりつつ、
「園田さんは昔CAだったのよ〜!」と言われる。

さぞかし華やかな職業だろうと思われがちだが、実際は体力勝負だし上下関係は厳しい。
また、私の場合、女の子らしさのかけらもない志望動機を持っていた。

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私は中学2年生の時に、当時はスチュワーデスと言われていた国際線CAになろうと決めた。
理由は、

      「一生、結婚しないでおこう」

と思ったから。


一生結婚しないためには、定年まで女性でも働ける仕事につかなければならない。
だから、スチュワーデスなのだ。


というのも、私が中2の頃、つまり40年前(!)は、女性の仕事は主に男性のアシスタントが多く、会社では男性が営業、女性が営業補佐。
3年ぐらいで寿退社が女の成功パターン。
そうなれなければ、男性上司に肩たたきされたり、嫌味を言われる。(と中学生ながらに思っていた。)

でも、私は結婚するつもりはない。
自分で自分を食わしていかなければならないから、そういう会社に入ってはいけないのだ。

では女性でも定年まで働けるのは、何の仕事?

と思った時に、たまたま見たドラマでJALの国際線スチュワーデス役の服部まこさんが、
プロポーズをされるが、仕事が面白くて、結婚か仕事かを悩んでいるのを見て、
「ふ〜ん、、、スチュワーデスってそんなに面白い仕事なのか」と思った。
小さい時から英語を習ったり、海外の子供たちと触れる環境もあり、外国に行きたいという願望もあった。

「よし、国際線スチュワーデスになろう!」


その話を母に伝えたところ、母がテニス仲間のANAパイロットから募集要項をもらってきてくれた。
そのB5の小さな紙は、8年間、スチュワーデスを目指す私の心の支えだった。

中2の私がまずやったことは、大学を決めること。航空会社に沢山入れる大学を調べ、関西ならここ、関東ならここと決めた。
その大学に入れそうな高校に入った。
国際線なんだから英語・世界史は必須、泳げなければならないと思ったので水泳部にも入った。

そして受験勉強も頑張り、無事にその大学に入った。
アルバイトをしてお金を貯め、英語の勉強のために短期の海外留学にも行った。
客室乗務員入社試験のための専門学校にも通った。

そして、バブル全盛期の当時、ANAは文系就職ランキング1位、客室乗務員の倍率は80倍だったが、無事に国際線客室乗務員試験に合格した。
神戸、裏六甲の片田舎に住んでいた中学2年生の女の子が、思い描いた夢を8年がかりで叶えたのだ!


私の「まずゴールを決める。旗を立てて、バックキャスティングで計画を立て、それを全力で達成していく」「やるときはやれることを徹底的に全てやる」性格はこの時培われたものに違いない。
その勢いたるや、執念たるや、自分でも時々しんどくなる・・・。
今は自分の性格に体力が追いついていない。


私は長らくこれは私の人生の大きな成功体験だと思ってきた。
でも、ここ一年、過去への捉えが変わってきた。
この成功体験は私の人生にとって、光でもあるが、影でもあるんじゃないかと。

長くなったので、続きは次の記事で。


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