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どうして「平和」は選挙の争点にならないのか

広島選出の総理大臣が誕生した。そして明日は、岸田文雄首相本人が候補者となった衆議院選挙の投開票日だ。核兵器のない世界を目指すことが「ライフワーク」だと言ってきた岸田首相だが、衆議院選挙が始まっても、それが前面に出るような選挙戦は展開しなかった。「平和が争点になるとは思わん」。元新聞記者で元広島市長の平岡敬さん(93)は言い切る。どうしてだろう。一票の権利を大事にしよう、と各地で「投票所はあっち」プロジェクトを展開している、ソーシャルブックカフェ「ハチドリ舎」店主の安彦恵里香さん(41)も交え、今の選挙にも引きつけながら、政治や選挙そのものについて考えた。

(取材は10月19日、広島市中区のハチドリ舎で)

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ひらおか・たかし 1927年、大阪市生まれ。大阪、朝鮮半島、広島で育ち、京城(現在のソウル)帝国大学在学中に終戦を迎える。52年、中国新聞社に入社。編集委員、編集局長などを経て、中国放送(RCC)社長に。91年から2期8年、広島市長を務めた。著書に「偏見と差別」(未来社)、「無援の海峡―ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声」(影書房)、「希望のヒロシマ」(岩波新書)など。

過去6回のインタビューはこちら↓

「平和」は誰も否定しない

ーー「平和」というものが、広島で選挙の争点になるか、なってきたか。これはこれまでのお話の中でも出てきていますが、広島で選挙が続くいま、再び考えていきたい。平岡さんが広島市長選に出た時の資料をお借りしましたが、最初に出た1991年の選挙の時の平岡さんの市政の3本柱の一つに「平和」がある。

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平岡:これは暮らしの話ですよね。これは経済活動、都市基盤の整備とそこから展開される経済活動、そしてこっちは、平和。この3本柱。私は主として訴えた。どうしたって、市民にとっては「住みよい生活」が非常に大事。その生活をさせるために広島に活力がないといけない。それには、産業活動が活発じゃないといけない。それと同時に、この二つを支えるのは平和。底辺に平和があるわけです。その上に市民生活が展開される。平和っていう地盤があるからこそその上に住みよい広島が展開される、という

ーーイラストの平岡さんの頭の中には、原爆ドームやらが描かれている。「平和」っていうものが、広島において選挙の争点になるか、なってきたかということは、私も一人の有権者として色々と考えてきた。

平岡:争点にはなりにくいですよね。というのは、みんな「平和」のことを言っているんですよ。今回の国政選挙でも、これを否定する人はいない。ただ、例えば憲法9条となると賛成と反対が出てくるけど、「平和」というものを掲げる限り、それはだめなんだという人はいない。だから争点になりにくい。

ーーあえてここに、三つの柱の中の一つに「平和」という文字を入れている。

平岡:広島の場合は、平和を抜きにして都市作りはできないという問題がありますね。というのは、平和記念都市建設法があるし、同時に自分たちの悲惨な体験からこの都市を作ってきたわけだから。だからそれを欠かすことはできないの。平和ってのは大事だから欠かすことはできない。だけど、平和っていうのはただ与えられるものじゃなくて、自分たちで作り出していかないといけないんだね。これは能動的な平和という意味ですよね

ーーそれが、ここに書かれている、「訴える平和から作り出す平和」ですね。訴えることも大事だけれど、一歩進もうという意味?

平岡:それまではどちらかというと被害を訴えてきた。だけど被害を訴えるだけじゃなくて、自分たちがどういう世界を作ろうとしているか、どういう平和を作ろうとしてるかということを皆さんと一緒に考えましょうという意味でした。作り出すっていうのは、与えられるものじゃなくて作っていく。そういう平和を阻害する要因は色々、貧困とか病気とか差別とかいろんなものがある。それを克服していくことで平和が作られる。それが作り出す平和という意味だったんですよね。

ーーあと、ここで、被爆の「ばく」の字が、爆だけでなくて曝と表現されている。

平岡:原爆の、いわゆる火へんの「被爆者」だけじゃなくて、日へんの被曝者。これは、1986年のチェルノブイリの被害のことを言っています。原子爆弾による被爆者だけじゃなくて、原発事故による被曝。この場合やっぱり日へんの爆。それも念頭にあるから両方書いたんです。非常に大きな、重大な事故だった。

「平和」言うだけではいかん

ーーこの辺のコンセプト作りは自分で?

平岡:その頃は「平和ばっかり言っている」って、前市長の荒木武さんが批判を受けていた。それで本当の都市作りをやっていないじゃないかと。「平和」は確かにずっと言っている。平和首長会議の前身の「世界平和連帯都市会議」を作ったのも荒木さんですからね。で、国連でいっぺん講演もしている。そういうこともあって、荒木さんは「平和」を絶えず言っていた。それは事実。ただ、それだけじゃいかんじゃないかっていうのがあって。経済界に。

ーー平岡さん自身も、ジャーナリストとして「平和」に思いがあるでしょう。

平岡:もちろんそうだけど、都市作りというものに対して、もうちょっと頑張らないかんじゃないかという思いがあったね。それは、ちょっとこの前も言ったかわからないけど、広島市全体に対する、広島県全体に対する東京からの広告投下量が減りつつあったと、それは電通・博報堂のね、データ見たらわかるけど、それに対する危機感っていうのが。僕自身は民放の経営者だったから。このままで都市が沈没したら、民放なんて成り立たないっていうのもあったから。

ーーで、そういう訴えをした平岡さんが、1991年の市長選挙で圧勝した。その時の選挙のデータをみた。広島市選挙管理委員会ホームページには、平岡さんの時の選挙の記録が古すぎて残っていないんで、取り寄せた。ダブルスコアでしたね。

平岡:27万でしょ。

ーー得票率60%。対する杉本候補は15万で、33%。この時7人が立候補しているけど、まあ、事実上、平岡さんと杉本さんの戦い。

平岡:一騎打ち。

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(1991年広島市長選挙開票結果 広島市選挙管理委員会提供)

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