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「広島出身」と言うからには

「どちらのご出身ですか」

初対面の人との会話の中でしばしば出てくるこの質問。普段の生活の中で、私もそう尋ねられることが多いが、いつも答えに困る。

父親が、転勤族だったこともあり、社会人になるまでの23年間、小さな引っ越しも入れると8回(3カ国・地域)引っ越しが続いた。両親とも広島県に実家があり、母親が私を産んだのも広島県だが、私は広島で育ったことがないので、広島出身です、というのはなんとなく違うな、と思ってきた。

そもそも出身地ってなんなんだろう。

小学校の時に両親に買ってもらった、自分の手元にある旺文社詳解国語辞典を見ると、こうある。

しゅっ・しん【出身】(名)その土地で生まれた、またはその学校を卒業した、などという経歴があること。その土地・学校などの出であること。「地方のーー」「名門のーー」「ーー校」

コトバンクには、複数のソースが紹介されていた。

これらを当てはめると、私は広島出身ということなのだろうか。ただ、知人から、「国土交通省の定義があるらしい」と聞き、調べた。

国土交通省が今年3月に作成した「東京一極集中の現状と課題」と題した資料の中に、以下のような記述がある。

※出身地:15歳になるまでの間で最も長く過ごした地域。

私が15歳になったのは1992年。1984年から1992年まで住んでいた香港が、生まれてから15歳になるまでに最も長く過ごした地域だ。ならば、私は香港出身というべきなのだろうか・・・・。国籍が日本なので、その辺の説明が難しくなるからそういう表現は私はしていない。ただ、自分にとって香港は育った街で、ふるさとであることには違いない。

もはや、よくわからない。よくわからないから、尋ねられたときは、揺るぎない事実を伝えることにした。それは、私が「広島県生まれ」だということ。そして、今現在、広島市に住んでいるということ(たったのトータル6年だけだが)。

なんで「出身地」でモヤモヤするかというと、私自身のこともそうだが、第100代首相となった政治家の岸田文雄さんが「広島出身」であると言われているからだ。というか、ご自身が、広島出身だと述べている。8日にあった所信表明演説でも、こう述べている。

被爆地・広島出身の総理大臣として、私が目指すのは「核兵器のない世界」です。

岸田さんは、「広島出身」なのか?

上にリンクを貼った岸田さん本人のホームページでは、「プロフィール詳細」をクリックしても、「1957年生まれ」と「1982年早稲田大学法学部卒業 (株)日本長期信用銀行入社」の間の記述がなぜかまったくないのでよくわからない。

広島の地元紙では、【第100代首相岸田文雄物語】と題した連載が始まったが、それによると、岸田さんは、東京都渋谷区で生まれ、小学校1〜3年までをアメリカで過ごしたそうだ。帰国後は、「自民党本部の近くにあった東京都千代田区立の永田町小」(中国新聞記事)に編入。その後、麹町中学校をへて、「全国有数の進学校」(同)、開成高校に進んだ。

となると、国土交通省の定義を当てはめると、岸田さんは、東京出身と表現するのが正しいのではないか。

しかし、テレビや新聞などで、「広島出身」のフレーズをよく見かける。きちんと表現しようとする様子が見られる記事は「広島選出」という表現を使っているが・・・。国土交通省とは違う、ちゃんとした定義がどこかにあるのかよくわからないが、よくわからない以上は、「広島選出」と表現するのが的確ではないだろうか。

以前、外務大臣時代の岸田さんが「広島出身といっただけで相手の反応が変わる」といった発言をしたという記事を読んだことがある。朝日新聞大阪本社で原爆担当をしていた頃だったので、とてもよく覚えている。

広島市から出た外相は初めてだ。海外の首脳や外相と会談し、私は広島が選挙区です、広島の出身ですと言っただけで、相手の反応が変わる。改めて軍縮、核兵器不拡散という大きな課題において、ヒロシマという名前の重みを痛感している。これからの日本のありようを考えるときに身の引き締まる思いだ。(広島市での外相就任祝賀会で)ーー2013年6月22日配信の朝日新聞デジタルから

私も、高校時代に暮らしたアメリカで、「広島で生まれた」というと、相手の反応が変わった体験をしている。アリゾナ州の高校時代、私が広島の生まれだと化学のベネット先生に伝えたら、顔色が変わり、「1時間、私の授業をあなたにあげるから、広島のことを教えてちょうだい」と言われた。つまり、原子爆弾のことを教えてくれ、というのだ。広島で育ったことがない私には、他の方達に偉そうに語れる広島がない。慌てて国際電話をかけ、当時はまだ元気だった、爆心地から1・5キロで被爆した祖母からあれこれ聞き取り、緊張しながらプレゼンテーションをした。緊張しすぎて、何を話したのか、クラスメートの反応はどうだったのかは覚えていないのだが、終わった後、ベネット先生から「thanks for sharing your story」と言われたのは、覚えている。

この時、私は自分の中の「広島」(なり、「ヒロシマ」)に明確に目覚めた。そして、自分にとっての広島が何かを考えるようになった。

「広島出身」だろうが「広島選出」だろうが、どっちでもいいじゃないか、という声も聞こえてきそうだ。それ以前に、選挙区とか出身地はさておき、国会議員は全国民の代表として行動する存在だ。ただ、「広島出身」と自ら進んで言うからには、広島出身というだけの仕事をしてほしい。「広島出身」と言うならば、核軍縮の交渉の場で、相手のリアクションだけでなく相手の行動を変えてほしい。特にアメリカの。

・・・ということを、広島の人間は、ギラギラと目を光らせて監視しなければいけないと思う。「総理のお膝元!」と沸き立つのもいいけれど、それはもうそろそろおしまいにして、広島にとって大切なこととしておそらく多くの人があげるであろう、政治とカネの問題、そして岸田さん自身がライフワークだと言った「核兵器のない世界」の実現を、どこまで本気でやるのか、しっかり見張っておくのが、広島の人たちの役割だと思う。少なくとも、私はそうあろうと思う。

河井夫妻事件について、広島の人たちが納得がいくようにしっかりきっちり説明することと、来年3月にある核兵器禁止条約の締約国会合にオブザーバー参加することは、最低ラインだ。

外務大臣時代、核兵器禁止条約の交渉会議に参加の意向を示しながら、核保有国・同盟国・原子爆弾投下国のアメリカに配慮して断念したことを、よく覚えている。

また、オバマ大統領が広島に訪問する際、米国側に謝罪を求めないと表明したことも記憶に新しい。

この点について、岸田さんが93年に国会議員となった時に、広島市長だった平岡敬さん(93)は、今も憤りを隠さない。

岸田さんと広島のつながりについて疑問を呈することをいうと、じゃあ、あいつはどうなんだ、などと他の政治家のことを引き合いに出す人がいる。そこで引き合いに出された政治家たちが、どれくらい、その土地にアイデンティティがあるのか、票田だということ以上の思い入れがあるのか、私にはわからない。ただ、岸田さんについては、「被爆地・広島出身の総理大臣として」という所信表明演説の時のフレーズに代表されるように、広島を背負った発言を常々しているので、ここに書いたようなことを、広島市民として感じている、というだけの話だ。

(「岸田さんは本籍が広島だ」などと言ってきた人がいるが、本籍は自由に設定できる。結婚するとき、2人が出会った土地にするとか、阪神ファンが、甲子園球場の住所地にするとかそういう話はよく聞く話だ。生活の実態とか、生い立ちとはまったく関係がない話ではないだろうか。)

ネットで面白い記事を見つけたので貼っておきます。統計分析の専門家が書かれた記事のようです。広島弁で会話するしないは正直どうでもいいけれど、政治家と地盤の関係とか、地方と東京の関係とか、考えさせられます。



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