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現・隣人男性の証言 【小説】どの顔もあの女#22

 高梨真矢さんですか? マンションのエレベーターに、二回乗り合わせたことがあります。一回目は僕が引っ越してきて一週間も経たない頃、夜七時頃だったと思います。お互い仕事帰りのタイミングで。普通に「こんばんは」と挨拶してくれて、常識的な人だなと感じたくらいの薄い印象です。
 見た目はどちらかというと地味でしたから。とはいっても、あまり顔は覚えていないんです。一瞬しか見てないですし、眼鏡をかけていたので。
 ただ、強く記憶しているのは、僕が先に乗り込んで「五階」のボタンを押した後、後から乗ってきた彼女は「閉」ボタンを押しただけで、ああ同じ階なのかちょっと気まずいなと思ったこと。
 なんとなく、一緒にエレベーターを出るとき、ちょっと意識するじゃないですか。なんでしょうね、あの気詰まりになる感じ……説明が難しいですが、わからなくもないでしょ? 

 失礼します、と言ってエレベーターを僕より先に出た彼女はまっすぐ歩いて、突き当りの角部屋に向かいました。なんと僕の部屋の隣だったんです。
 彼女の部屋のドアと僕の部屋のドアは、直角の位置にあって、同時に鍵を開ける動作をすると、すごく距離が近くなるんですね。奇妙な感じでした。互いに鍵をさっさと開けて部屋に入ろう、としている感じがありました。
 引っ越して間もない僕は鍵を開けるのに若干手間取り、彼女のほうが先に室内に入りました。その後、三つついているドアの鍵を順にかける音が聞こえましたが、わりとゆっくり閉めているように思いました。
 というのも、彼女はネットで頻繁に買い物をするのか、かなりの頻度で宅配便が来ていたんです。その宅配便を受け取るときは毎回「はーい」「ありがとうございます」という声が聞こえ、受け取るや否や、鍵をカチャ、カチャ、カチャと三つ、テンポよくかけていくのですが、このときはそうじゃなかったんです。
 多分、というか、僕の意識が過剰なのかもしれませんが、隣の住人はどんな人間なのか見てやろうとして、穴から覗いていたんじゃないかと思います。僕でも同じことをしますから。
 だって、都会のマンションだと、一度も隣の住人の顔を見たことがない、なんてことはざらにありますからね。皆生活時間やライフスタイルはびっくりするくらい違います。とくに働く若い男女はなおさらじゃないですか?
 二度も同じエレベーターに乗り合わせるなんて、それこそ珍しいというか、なかなかないことだと思うんですよ。

 二回目は男性と一緒でした。男性のほうはけっこう年上に見えましたね。白髪混じりの髪で眼鏡をかけていて、身長は180センチくらいあったと思います。40代後半か50代だったんじゃないでしょうか。
 僕がエレベーターに乗って、閉ボタンを押そうとしたところで、彼女と男性が走って乗ってきたんです。たぶん、普通にエレベーターが降りてきたように見えたんじゃないでしょうか。僕が先に乗っているのに気づいたら、一緒に乗ることはなかったと思います。でも、勢いよく走ってきたものだから、引くに引けなくなったんじゃないかと。
 そのときも普通にこんばんはと挨拶されました。ただ、印象は前と違いました。一回目に会ったときは地味な印象でしたが、その日はそうは見えませんでした。きれいな感じがしました。
 僕はエレベーターの奥に立って、前に立つふたりを見ていました。エレベーターを降りる前、私の方を見て「おやすみなさい」と挨拶してくれましたね。それが高梨さんの顔を見た最後です。
 その日は一回目に乗り合わせたときとは対象的に、鍵をカチャ、カチャ、カチャと三つ、テンポよくかけていました。
 ちなみに、一緒にいた男性は独身には見えませんでしたね。指輪こそしてませんでしたが、既婚者なんじゃないでしょうか。そんな雰囲気がありました。なんとなく不倫カップルっぽく見えて。そういう空気ってなんか出るじゃないですか。不倫なんて珍しくないですけど、そういう恋愛を選ぶんだ……とは思っちゃいました。犯人、早く捕まってほしいですね。


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