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彼と友達でいる理由は、その心地よい距離感を半永久的に保ちたいから。

男友達Kと夕食をとった後、本郷通りをずっと歩いて、うちに向かった。彼が買ってきてくれたチーズケーキを家で食べることにしたのだ。

食事中から爆笑しすぎてメイクはよれよれだし、2kmの距離をマイペースに超高速で歩いて汗だくだし、もうぐちゃぐちゃというかドロドロ。

でも、そんなことは気にならない(お手洗いに立ったときに「あ、目元のベースメイクがよれてるね」と気づいて直す程度)くらい、表情筋を酷使していた時間。

彼とこんな話をしていた。

“この人と一緒にいるときの自分”は好きだなと思うとき、そうでないときとの違いってなんだろう
“心のアクリル板”を設置してしまう相手と、そうでない相手がいるよね

それでいうと、私はKと一緒にいるときの自分はけっこう好きだ。心のアクリル板も設置してない。

なぜ彼と一緒にいるときの自分は、なかなかいいなと思うのか。理由をシンプルに言語化すると、「素の自分でいられる」から。

もっと別の言葉で言うと、「この発言、してもいいかな?」「次にこの言葉を発するのは適切だろうか?」とか、自分が何か言う前にためらうことが一切ない。

何でもない会話で笑い合うこともあれば、真剣に話すこともある。とにかくラク。居心地がいい、という表現がしっくりくる。

Kとは8年ほど前からのゆるやかなつながりで、全然会わない年もあれば、こまめに会うときもあって、面白い縁だなあと思う。お互いに「人としていいヤツ」「困ったら助け合いたい」と思っているはず。

Kとの関わりは長い。「密」にならなくとも、友情を蓄積してきた年月があるから、一緒にいて疲れず、開放感さえおぼえるのかな——。

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そう思いきや、出会って2年、濃いめの関わりになって1年ほどの男友達Sも、同じような存在だ。

私を「仲間のひとり」として好きでいてくれ、頼りにしてくれている。うちにもよく出入りしていて、食事をすることも多い。

Sと共にいるときも、変に気を遣うことなく「人と人」でいられるから、距離感が適当だなあと感じる。受容力が高い彼なら否定しないからなと、自分の汚いところ、だらしないところも安心してさらけ出せるのだ。

Sは言う。

「俺たちの距離感っていいよね」

私も共感の意を示す。

「今みたいに友達でいれば、ちょうどいい距離感の関係が続いてくよね」

Sは私に「俺を恋愛対象として見ないでね」という意図で、その言葉を発したわけではない。ただシンプルにそう感じただけだろう。

私も私で、Sと恋愛関係に発展する可能性はゼロだと捉えていて、何らかの事件を機に絶交(懐かしい表現をあえて使ってみた……笑)しなければ、このままマイメン的関係でいられるはずだ。それが理想。

***

Kが帰宅した後、「あ〜4時間半くらい、ものすごくテンション高く過ごしたのに、全然疲れてないなあ」と感じ、お風呂に入った後、こんなつぶやきを投下した。

KもSもその他の友達についても、会っていないときに彼らを思い出すことはある。でも、そこでモヤモヤすることは一切ない。

「あのとき彼にああ言えばよかった」「あのときこんな行動をすればよかった」的な後悔が一切発生しない。「今、ここ」で自分がしたいように、好きな自分で過ごせている証。

対して、恋愛や性愛パートナーに関してはどうだろう。連絡を取っていないとき、何気ない瞬間にふと、存在を思い出すことはある。でも、友達と違ってどこかネガティブな想像が溢れる。

「珍しい。こんなに連絡がないなんて」「飽きたのかな。そんなはずはない」「あのときあれすればよかった」とか、脳が独りよがりな想像で暴走を始める。

会っているときは刺激的で楽しいのに、会っていないときは苦しいし楽しくない。どうして考えても仕方がないことを考えてしまうんだろう、といやになる。

会うときも「今日でおしまいかも」とうっすら思いながら厚い身体を抱き締める。「もう触れられないかも」と最終回感を抱えながら肌を撫でる。半永久どころじゃない。終わりの始まりと毎度向き合う。

それでも関係を解消したくはないから、ネガティブな思いはなんとか放り出して、「考えることをやめよう」と試みる。

***

「園子さん、あの男は誰なの? ずっと気になってたけど、聞けなかった。でも聞かずにはいられなくて」

今春、距離感が縮まっていた男性Lから、あるとき質問された。

Lと昼食を食べていたとき、私のYouTubeチャンネルの企画・撮影をしてくれている男友達Mが、うちに来たのだ。

ふたりがバッティングすることのないよう、スケジュールを組んでいたのだけれど、Lとの食事が予想外に長引いたこと、Mが20分ほど早く到着したことから、ゴツい男性ふたりがうちのDKで対峙する形に。なんだか奇妙な感じで、LもMも居心地が悪そうだった。笑うシーンではないけれどなんか可笑しくて、私は少しニヤニヤしていた。

LにMとの関係を伝えた。友達であり、動画撮影担当である、と。

Lは「動画ってなんなの? 大人の動画でも撮ってるんじゃないかって思ってた。だって普通、ひとり暮らしの家に男を入れないでしょ。普通、男を招き入れるってことは、その人とそう言う関係だと思うでしょ。普通はそうじゃない?」と訝しむ。

「あ〜ここにも“普通くん”がいた! 普通、普通、普通って何回言えば気が済むん? あなたの普通を私に押し付けるんじゃないよ」という苛立ちを飲み込んで、別の言葉を伝えた。

「あなたと私は思想が違うね。私は男友達をうちに招きます。だって友達だから。人と人として向き合ってるから。私は、家に招く相手と寝る相手はイコールじゃないんだ。ちなみに、あなたにとっての普通は、私にとっての普通ではないからね。あと、普通って言葉、押し付けられると不愉快だからやめて。これは“普通、普通”とよく言ってくる人にいつも言ってます」

最後はなんだか説教じみている。ただ、いかに言葉を尽くしても、Lに思いは伝わらなかった。

「園子さんは世間知らずだし、男の気持ちをわかってないよ! 男は女性の家に招かれると、その気になるんだから(編集注:その気になる=性的な関係を持っていいと解釈するものだ、との意味でLは発言)」

Lは自国のフェミニズム・リブートに嫌悪を示し、現地で声を上げるフェミニストたちを毛嫌いしている。その点で、私とはそもそも相容れない。

L「もし俺と付き合ったとしても、他の男を家に入れるの?」
私「うん。だって、友達だよ? あなたも友達が家に来ることはあるでしょ」
L「え(苦笑)。でも、園子さんの場合、男でしょ。男が来るなんて……」
私「(はあ〜。なんかこの人と話すの面倒くさくなってきた……)何回も言ってるように、友達の性別を意識してないから。呼びたい人は呼ぶけど。あなたにそれをセーブする権利はないですよね」

Lに大切な男友達という概念は伝わらなかった。Lと交わる機会はこの先ないと断言する。

***

先のツイートに戻る。あくまで現時点での私個人にとって、友情は半永久的で、恋愛・性愛の関係は終わりの始まり、だと認識している。

だから、なのか。この先も長く程良い距離感で生きていきたい相手とは、友でいる関係を積極的に選択する。そして、その距離感を好もしく、愛おしいものだと思える。

昔はそれができなかった。白か黒かで、友というグラデーションゾーンはなかった。

一方で、恋愛・性愛関係の相手は、距離が近い。ただ、できることなら、どちらかが離れたいと言うまでは、離れたくはない。でも、この類の関係は脆いことを身をもって知っている。甘く、儚いつながり。自分が未熟だから、そう思うだけかもしれないけれど。

距離感の異なる人たちと過ごす今が、今までで最も、豊かな人間関係を構築できている。そんな気がする。

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