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Hello, Bear

高校生の時に大好きな女性の先生がいて、その人は高3の英語非常勤講師だった。名前も覚えていないけど、とてもさっぱりした先生で、生徒に舐められないよう、初日はえらくかましてきたけど、次の授業から別人なんじゃないかと思うくらい、話も面白くて、勉強の教え方も上手な先生だった。当時の先生は恐らく、今の自分の年齢くらいではないか。

くだらない話が好きで、いつも授業が脱線してしまう。鹿賀丈史の大ファンで、『おしゃれカンケイ』という番組の質問コーナーにハガキを出して採用された、とその録画したものを授業中にみんなに見せてきた。成績がいい子には、面白いくらいの分かりやすい依怙贔屓をする。「依怙贔屓されたいならテスト頑張りなさい」と平気で言う、今では考えられないような先生だった。
たまに真面目な話をするんだけど、それが響いちゃうくらいに、いいことを言ったりする。

「教育っていうのはね、こんな授業のことなんかじゃなくて、何十年か後に、学校で学んだこと、誰かが教えてくれたこと、それをふと思い返したときに、自分の中に残っている言葉や覚えている事柄、それこそが教育なんだよ。」

みたいなこと言ってたっけ。本当にさらっと言ってたから、覚えていない子や聞いていない子がほとんどだと思うけど、私は、「先生、その言葉ずっと覚えとくよ」と目を丸くしてその言葉を聞いていた。(今思うと、良くも悪くも学校の先生の話をよく聞いている生徒だった。どんな顔で言っていたかも鮮明に覚えている。)今もその言葉が、私の中で「教育」とはという定義みたいなものになっている。

そんな先生の非常勤講師以外の別の顔、本業は絵本の翻訳家だった。テスト返却が終わった授業だったのか、熊の絵本の翻訳を授業でしたことがあった。

一つの単語でも、何通りもの翻訳が出来る。Hello,bearというタイトルなら、「こんにちは、熊」という直訳から、「はーい、クマちゃん」や「やぁ、くまたん」とか。熊にあだ名をつけることだって出来る。どれも正解だけど、人の心に残る訳し方、あなたはどう訳しますか、という授業。それぞれ自由にその熊の1冊の本を訳して提出した。その翌週に、みんなが訳した色んなパターンを教えてもらった。その授業が本当に面白くて、プロの翻訳家の言葉巧みな技術に感動してしまった。

それ以来、こんなに目をキラキラさせて学びたいと思った授業は、後にも先にもこの授業だけだった。その時から絵本の翻訳に興味が沸いて、文学部英米文学科児童文学専攻で、大学に進学することに決めた。

結局のところ大学では、あれよあれよとファッションの道に進むことに変更したのだが、成人しても、絵本は変わらずに、今でも好きなものだ。解釈はそれぞれだし、あの短いセンテンスの中に、夢とロマンが詰まっている。

なんでこの話をしたかというと、Netflixに『If Anything Happens I Love You』という12分間の短編アニメがある。直訳すると『何が起きてもあなたを愛してる』になるのだが、その翻訳は、『愛してるって言っておくね』となっているのだ。さも、このアニメーションに感銘を受けたように書いてあるけど、ここに書くなら短いんだし観とけよ、なんだが、私はまだ観ていない。マイリストにずーーっとあるんだけど、再生するタイミングが来るのをひたすら待っている。

でも、いつそれが言えなくなるかわからない、突然起きるかもしれない別れとか、そこに当然にあるものの不確実さみたいなものが上手く翻訳されているなと思う。
(あー観てないんだから説得力もありゃしない。)

去年、沢山の時間があった時に始めた趣味、英語や韓国語の歌詞を翻訳すること。それをするときに、本当によく先生のこと、先生からの言葉、英語の授業の事を思い出す。これが私に残った「教育」なのだ。

絵本の翻訳家にはならなかったけど、絵本は今でも書きたいと思っている。ちなみに、私の第1号の絵本は、親友の娘の誕生日に贈ったことがあった。作った本人ですら、どんなストーリーにしたか覚えていないほどだけど、ご丁寧に額にまで飾ってくれて、とても喜んでくれた。また作りたいし、いつかまた作ると思う。今も頭の中でストーリーがいっぱいある。

でも絵描けないんだよな、困ったな。


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