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透明人間

 *これは、自主制作映像「透明人間」内の小説です。お時間があればよければこちらをどうぞ→ 





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私、最近新しいお友達ができました。この子です。

…え?誰もいないじゃないかって?
いいえ、確かにここにいます。彼女は、透明人間なのです。

 彼女は、静かだけれどよく通る声で話します。
毎日放課後になると、近くの公園の裏山の、屋根のある休憩所で落ち合って、二人でお菓子を食べながらおしゃべりをするのです。
その日あった出来事を、私が落語家にでもなった気分でようようと話すと、彼女はいつも吐息みたいな笑い声でくすくすと空気を揺らし、私の気を良くさせるのでした。
 彼女と出会ったのは、二週間と少し前の、秋が深まり始めた頃。学校からの帰り道でした。少女漫画が始まるみたいに街角でぶつかったのです。
はじめは、お化けがいるのかと驚きましたが、私以上に慌てふためき、怪我はないかと心配する彼女の声に、私の中の恐怖心はすぐに溶けてなくなってしまいました。


 夕風が穏やかに頬を撫でる頃。古びてまだら模様になった木製のベンチが、私たちの特等席です。私がかばんの底から少しひしゃげたチョコ菓子の箱を取り出すと、彼女は「いちご味!」と声を弾ませました。
「苺が好きなの?」
そう問いかけると、彼女はうーんと悩み、
「苺というか、いちご味が好きかな」
と言いました。
私には、そのこだわりがよく分かりませんでしたが、どうやら彼女にとっては大事なことのようでした。私たちは、いつもこんなくだらないことばかり話します。
「本物とは似ても似つかないあの味が、愛おしい?うんらいじらしくて、愛おしい味な気がする」
彼女はうん、うんと何度か頷いて、一人で納得したかと思ったら、
「やっぱり違うかも」
と再び悩み始めるものですから、私は慌てて
「そんなに考えなくても」
とストップをかけました。彼女は少し、考えすぎるきらいがあるのです。
私なんかはいつも、もっとよく考えて行動しなさい、とお母さんに怒られるものですから、彼女の途切れ途切れになりながら悩んで話す様子は、読み込みの遅い動画を見るようで、少しじれったくもありました。

「どうしてそこまで細かく気にするの?」
私は思いきって聞いてみることにしました。彼女は、先ほどの倍の時間をかけてから、
「言葉を使うのが、怖いから、かな」
とぽつりとこぼしました。
「言葉ってすごく簡単に人を傷つけることができるでしょう?」
彼女は続けました。だから、自分の本心が歪んで伝わってしまわないように、一番相応しい言葉を切実に探してしまうんだよ、と。
私は、なるほどなあ、とも思いましたが、それでもやっぱり、いちご味にはそんなに真剣にならなくてもなあ、とも思いました。

 彼女は、自分を「後天的透明人間」なのだといいます。ある朝目が覚めると、突然透明になっていたそうです。
「自分が見えないと大変じゃない?」
そう聞くと、彼女はお菓子をポリポリと端から消してから答えました。
「まあでも、意外と良いところもあるんだよ」
「例えば?」
彼女はまたもやたっぷりと時間を使ってから、
「ひみつ」
と思わせぶりに笑いました。

「それならさ、」
私は、何気なさを装ってそう繋げました。
「明日さ、こっそり学校に来ない?」
実は、朝からずっと考えていたことでした。いつ提案しようか、今か今かと待ち構えていたのです。
透明人間の彼女と、学校でクラスメイトにバレないようにお話したり。見えないことを利用して、小さないたずらをしてみたり。そんな二人だけの秘密の冒険は、想像するだけでとてもわくわくすることでした。名案に違いない、と思ったのです。
それなのに、彼女から返ってきた声は、申し訳なさそうなものでした。

「ごめんね、あんまり行きたくないな」
私は、がっくりとしてしまいました。はち切れそうだった期待の風船が、しゅるしゅると萎んでいきます。
「どうして?」
「バレて騒ぎになるのは怖いよ、ごめんね」
彼女がそう言うなら、無理に連れて行ったところで、きっと二人とも楽しくないのでしょう。
彼女の今日の声は時々かすれ気味だったので、風邪気味かもしれないし、なんて理由も無理やり探して自分を納得させました。
それでもどうやら、私は残念さを隠し切れていたかったようで、彼女はもう一度、ごめんね、と繰り返しました。
私はとにかく嘘が下手なのです。表情から気持ちがバレてしまわないところは、透明な彼女が少し羨ましくなりました。
 そう思うと、私は彼女がどんな顔をしているのからにわかに気になり出しました。
むしろ、今まであまり気にしていなかった自分が不思議なくらいでした。

 私は、透明の中身を知ってみたくなったのです。

 そこで、私はノートとペンを取り出して、テレビで見る新聞記者のように次々と彼女のことについて聞き出しました。改めて相手を知ると、意外なことがいくつもありました。
ノートの中身はこんな感じ。

◆◆ちゃんメモ⭐︎
・(自しょう)平ぼんな顔
・かみは短め
・どちらかというとつり目ぎみ
・身長は私と同じぐらい(ってことは150cmくらい?)
・左目に泣きぼくろ
・とうめいになる前はなんと同じ中学の1年生!(会ったことない)
・写真部(空をとるのが好き)
・とうめいだと学校にいけないから今は不登校ってことにしてる
・お母さんにはなぜか見えるから生活にはこまってない(理由はわかんない)



「◆◆ちゃんは、ずうっと透明のままなのかなあ」
ふと想像して、もしもそれが私なら、それはとても寂しいことのように思えました。
私は、透明人間の彼女が、おはなしして仲良くできる相手が私だけであることに、自分が何か特別な物語の主人公にでもなったような、そんな優越感に近い気持ちを、きっと抱いていました。
そしてそんな自分が、少し申し訳ないような、恥ずかしいような、居心地の悪いすきま風が胸の中をひゅんとくぐりぬけて、私をひやっとさせました。

「ずうっと、じゃないと思うよ」

彼女の声は、いつも私を澄んだところへ戻してくれるような、そんな音がします。
私は、そんな彼女の声が好きでした。
「きっと長くは続かない、そんな予感がするんだ」
その時も、彼女の声には揺らぎがありませんでした。
それなのに、なぜだか迷子のこどものような、酷く心許ないものにも聞こえました。
「元の姿に戻っても、仲良くしてよね」
私はわけも分からない焦りに駆られながら、そう口にしました。
彼女は、いつものように数秒黙り込んでから、ひとつ咳払いをして、
「そうしてくれると嬉しいな」
と言いました。


 
次の日の放課後、私は写真部に向かっていました。
少しずるいような気もしましたが、そこに行けば彼女のことがもっとわかる気がしました。
知らなければいけない、そんな気がしました。
 写真部の部室は、西棟の空き教室。ほの暗い廊下の一番奥にあります。
普段訪れることのないその場所は、辺りに漂う空気たちがこぞって私をよそもの扱いしているようで、自然と歩みが慎ましくなりました。

 ドアの窓からそうっと中を覗いてみると、楽しげな土埃が、窓から差し込む光の中をきらきらと泳いでみせました。それはまるでスノードームの世界のようで、私は少しの間ぼんやりと見惚れてしまいました。壁一面には、いくつもの写真が貼り飾られています。その中の一枚に、私の目はくぎづけになりました。
 空の写真です。
淡く溶けまざる優しいグラデーションの真ん中を、一本の飛行機雲が清々しく突き抜けていました。
彼女の写真に違いない、と私は不思議と確信しました。私の好きな彼女の声と同じ、凛とした澄みやかさを、その写真は纏っていたのです。

「写真部に、何か用ですか?」
振り返ると、目尻に深いしわが刻まれた年配の男性が、にこにことこちらを眺めていました。
確か、古典の担当で、写真部の顧問をしている先生でした。
私が慌てておじぎをすると、先生は
「ああ、そんなにかしこまらなくても」
とまったりとした口調で笑みを深めました。
「入部希望のお客さんかな?」
そう聞かれたので、私は慌てて頭と両手をぶんぶん振って、
「写真部にいる女の子のことを聞きたくて」
と訂正しました。
するとその先生は、きょとんとして言いました。
「写真部に女子生徒はいませんよ」と。
 私は、そんな筈はないと困惑しましたが、彼女が今は不登校ということになっていることに思い至り付け加えました。
「あの、◆◆ちゃんっていう子で」
「◆◆ちゃん?」
「あ、これ!多分の写真を撮った子だと思うんですけど」
 空の写真。
彼女と同じ、透き通った優しい温度の写真。
 先生は、ぽよんとしたお腹をさすりつつ少し考えて、ゆっくりと口を開きました。
「やはり、不登校の子を含めてもここには男子部員六人だけですね」
「え?」

「その写真を撮ったのも、男の子ですよ」

 外からは、ぽつぽつと雨の降り始める音が聞こえてきました。
埃は、ただの埃に戻っていきました。




 私は、学校を飛び出していつもの待ち合わせ場所へと駆け出していました。
なぜでしょう。今すぐに彼女のところへ行かないと、二度と会えなくなってしまうような、そんな不安が私の全身に警鐘を鳴らしていました。
ぬかるんだ土や落ち葉を蹴散らして、重くなりまとわりつくスカートも、冷たくなった靴の中も、ただひたすらに無視をして、走って走って走り続けました。

 公園にたどり着いたところで、私は足を止めて目の前にそびえ立つ山を見上げました。
赤、緑、黄、茶が寄り添いあった一つの大きな生き物は、雨の奥でいつもより元気なさげに映りました。
絡まり合う樹々のすきまに整列した丸太の階段を、うねりのぼったその先に、毎日通ったあの場所が待っています。
私は急に緊張で胸がいっぱいになってしまって、それを吐き出すように大きく一度深呼吸をしてから、ゆっくりと足を踏み出しました。
ざく、ざく。
一歩一歩、しめった落ち葉を踏みしめて、階段を登ってゆきます。
ざく、ざく、ざく。
ざく。

 最後の一歩を終えた時、枯れ枝の向こうに、あの休憩所が現れました、
けれども、彼女がそこにいるかどうかは見てとれません。
当たり前です。彼女は、透明人間なのですから。
──わたしは、彼女からの呼びかけがない限り、自分自身で彼女を見つけることすらできないんだ。
そのことに今さら気付いて、崩れ落ちそうな恐ろしさを覚えました。

 ですから、屋根の下に入った瞬間に届いた、「傘は?」の声に、私はほっとして少しだけ泣いてしまいたくなったのです。
「そんなに濡れてどうしたの?風邪をひくよ?」
そう心配する、彼女の声こそひどくかすれていました。
「そっちこそ、声ガラガラだよ。のど飴あったかなあ」
私がポケットに手を突っ込むと、彼女は
「ううん、大丈夫だからいらないよ」
とその手をゆっくりと押しとどめてきました。

 いつもなら、このまま私がたくさん話し出して、なんてことない、くだらない会話がはじまります。それなのに私は、上と下の唇が張り付いたまま、何を話せばいいのか分からなくなってしまいました。
彼女も、そんないつもと違う私に、黙り続けていました。
このまま、雨の音にまぎれて彼女がどこかへ消えてしまいそうで、私はその手を手探りで握りしめました。
見つけた感触は、何も言わず柔く力を返してくれました。
その指先は、わずかに震えているような気がしました。
しかし、私にはそれが雨の寒さのせいなのか、それとも違う何かなのか、知るために表情を伺うすべはありませんでした。
「◆◆ちゃんは、◆◆くんだったの?」
それは、自分の声なのに、自分の声じゃないみたいに聞こえました。
「うん、ごめんね」
いつもは言葉に時間のかかる彼女が、その時は二秒も待たずにそう言いました。
彼は、いつかこの時が来ることを、ずっと前から分かっていたのかもしれません。
「私は、一般的には男の子なんだ」
その声は、いつもより低く、そして不自然なほどに平坦でした。
「この声も、もう戻らない。始まっちゃった、声変わり」
私は、間違えたかもしれない、と思いました。
先ほどの私は、彼女になんと言ったでしょうか。
すでにはっきりと思い出せない過去の自分の言葉は、彼をいたく傷つけるものではなかったでしょうか。
私は、今さら怖くなりました。
「それでも、わたしは、女の子なんだよ」
薄い硝子で覆われたような声が、ザアザアうるさい雨の中で静かに響きわたり、パリンと空気に傷をつけました。

 長い長い沈黙が続きました。
その間、私はとても多くのことを考えていたような気もしますし、何も考えられなかったような気もします。
覚えているのは、ただずっと、繋いだ手だけは離さずに、汗ばんだぬくもりをひたすらに掴み続けていたことぐらいでした。
「とりあえず、座ろうか」
無言の時間をほどいたのは、彼女の方でした。
「そしたら、わたしの話を聞いてくれる?」
あえていつもどおりの声音で話しかけてくれる彼女に、私はコクりとひとつ頷き返すので精一杯でした。
「ええと、まずは何から話せばいいかな……」

 それから彼女は、いつものように何度も言葉につっかえながら、それでも途中で投げ出すことなく丁寧に、丁寧に、透明でない彼女のこれまでのことを教えてくれました。

 幼い時から、いつも自分の性別に違和感を覚えていたこと。
小学三年生ごろから、自分の世の中での立ち位置を理解し出したこと。
それでも、誰にも言わずに男に擬態して生きてきたこと。
周りに知られると、家族に迷惑がかかると思い怖かったこと。
それなのに、夏の水泳の授業でどうしても耐えられなくなって、不登校になってしまったこと。
男としても女としてもうまく生きることができない自分が、嫌いで嫌いで仕方がないこと。

もうずっと、消えてしまいたかったこと。


そう思い続けていたら、ある日突然透明人間になったこと。



「神様が願いを叶えてくれたと思ったんだ」
彼女はそう言いました。
「自分の外見とか、他人からどう見られているかとか、そういうのを気にしなくていいのは楽だった。二人で会う時間も、普通の女友達になれたみたいで嬉しかったよ。でもね、いつか終わりが来るのも分かってたんだ。わたしは、「僕」に戻ってしまうのが、戻らされてしまうその日が、ずっと怖かった」
 
 指先に、彼女のてのひらとは違う、かたい熱とさらりとしたくすぐったさが触れました。
それはきっと、彼女の額でした。
「長い間騙すようなことをして、本当にごめんなさい」
彼女が、深く深く頭を下げている姿が見えたような気がしました。
 確かに、先ほどまでの私の中には、どこか騙されたような気持ちがありました。
けれど、彼女はきっと、ずっと本当の自分でいただけです。それなのに、どうしてこうやって謝らなければならないのでしょう。
悔しさやもどかしさが、身体の中でうずを巻いて、何か叫び出したくなりました。
 わたしは、彼女のような悩みの持ち主を、これまで教科書やテレビの中でしか知りませんでした。こんなに近くにいるなんて、まともに想像したことがなかったのです。
彼女を透明にしていたのは私なのかもしれない、そう思いました。

「わたしね、本当はたくさん我慢してきた」
「うん」
「女の子らしいって言われること全部我慢したの」
「うん」
「勘違いじゃないかって、何度も自分を否定しようとした」
「うん」
「家族に嘘つきたくなかったし、」
「うん」
「男子トイレなんて使いたくなかったし、」
「うん」
「み、水着だって着たくなかったし、」
「うん」
「不登校に、不登校になんてなりたくなかった」
「……うん」
「本当の自分であるために、だ、誰になんと思われても大丈夫だって、そう言える強い人になりたかった。でも、でも、本当は、そんな勇気をわざわざ振り絞らなくても、そのどれもが叶う世界が欲しかった!」
 単調だった彼女の声は、どんどんと切羽詰まっていきました。
私は、自分に何ができるのか、自分はどうあればいいのか、考えても考えても分かりませんでした。何かしてあげられると思うことの方が、おこがましくて傲慢なことのようにも思えました。

 手の甲に、ぽたり、ぽたり、と雨にしては熱い水が落ちて流れていきました。
ああ、彼女が泣いている。
私の友達が泣いている。
わたしの、ともだちが、ないているんだ。
彼女は、しゃくりあげながら言いました。
「なんでなんでって、自分でもわかんなくて。間違って生まれてきたみたいで怖くて。わたしはただ、心も身体もひっくるめたわたしで、わたしがわたしで女の子でありたかった。」
 私は、目の前で震える空気を、かき寄せるように抱きしめました。
そこには、わななくかたちと、にじみ出る温度と、それから私と同じ速度を刻む心臓の音がありました。
「こんなわたしでごめんね。わかんないよね、ごめんね」
彼女は再び謝りました。
私は、いつのまにか自分の頬にも伝っていた涙と、ちょびっとの鼻水を彼女の肩口になすりつけながら言いました。
「私もごめんね、大丈夫だよ」
何が大丈夫なのかは自分でも分かりません。
無責任な言葉だとも思います。
それでも私は、それしか言うことができませんでした。

「大丈夫、大丈夫だよ」

うまく言葉にできない感情を、全部全部声に込めて言い続けました。

「大丈夫、大丈夫」

届け、届と必死に祈りながら、ただひたすらに抱きしめていました。

「大丈夫」

 いつかあなたが泣き止んで、その姿を見せてくれたとき、
「ほら、大丈夫だったでしょう?」
と笑ってみせるために。

 そして、これからの彼女にとって、「大丈夫」な世界の一部になるために。



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おわり

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