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14年前の記憶とアメリカの分断、常態

14年前、三十路になる手前でアメリカのロサンゼルスにいた。留学というほどたいそうなものでも無く、ただのモラトリアムみたいなものだ。

異文化を知りたいので海外に住みたい、と言って最初の会社を辞めた。留学紹介の会社経由で、ハリウッドの近くの語学学校と海岸近くのホームステイ先を紹介してもらった。平日は毎日、バスにのって学校に通っていた。

そのアメリカで、今は大きな分断が起きている。こんな不安が日常となっている。


もちろん、この分断に立ち向かう人達はいる。

(ポートランドの警察官が、デモ隊に膝をついて対応 @YouTubeより)

他にも立ち上がる人たちは多く出てきている。

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ただ、今回のことは分断が生まれたのでは無くて、「ずっとあった分断が現れた」のにすぎないのかなとも思っている。


14年前のロサンゼルスで見たアメリカでも差別はあった。最も印象深い記憶は、バスの中での出来事だ。

ある日、いつもの様に午後の早い時間で終わった学校から帰りのバスに乗っていた。車内に座席で携帯電話でのお喋りに夢中な1人の女性(イタリア系?白人の若い女性)がいた。そして、その横で立っていた老人(ヒスパニック?の60代くらいの男性)が、嗜めて、話しているのに気がづいてないから注意を引くために肩を軽く叩いた。
すると、初めて気が付いた女性は何が起きたか理解できず、パニックになって、老人に対して「触らないで!」と大声で言い始めた。みていると、周りの人も気が付いて寄ってきて、老人があわあわしているうちにみんなが女性の側について老人をバスから追い出してしまった。

その当時は、アメリカのような移民の国では民族でまとまって村みたいに住んでいるな、日本とは違うなと思い、それが世界標準なのかと思っていた。

もちろん、日本が良いとか、アメリカ が悪い、とかを考えているわけではない。ただ改めて考えると、アメリカの社会は単に階層の差が広くて階層間の助け合いは機能していないのかと感じている。

今、ロックダウンなどで不安が増したから、その問題が先鋭化してしているだけなのかもしれない。

そんなことを考えていた。


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ちなみに、日本に問題がないかと言うとそう安心できないかもしれない。たんに自分がマジョリティ側にいるから感じていない差別があるのかもしれないし、たんに表に出てこないかもしれない事も忘れちゃいけないよな。今日も昔の記事を見せられて、そう思う。

「首つかまれ、息できず」 クルド人に不当暴力、抗議デモ | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞


おわり。

#社会の時間
#毎日出す 2020 100DAYS

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