リーダーはのたうちまわる


「リーダーシップを発揮する」のは、カッコいい事だと思っていた。


いま日々の中で、会社の中も外も色々なプロジェクトに属して、経験や、あるいは古株だから、という理由でリーダーシップを発揮しようと思う場面は多い。
もちろん、自分の中のやりたい事や、焦りもあって勝手にしゃしゃり出ている時もたくさんある。それでも、やらないよりはずっといい。

役職や役目として「リーダー」になる事もある。とはいえ、40代ともなると会社でリーダーを任されるのは過去に実績がある範囲だけだ。社外のコミュニティは、それこそ手を挙げて自らならなければ押し付けられることはない。(もし嫌がっても押し付けるコミュニティがあれば、すみやかに退場する。)

だから、少なくとも心構えで、準備が足りないでリーダーをやるときはない。会社の場合も「お伺い」はされるし、役目になくてリーダーシップを発揮しようという場面も多いが、当然ながら自分が出来るイメージを持つ。

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そして初めて、漕ぎ出した海が思ったよりも広大で、深淵で、荒れ模様と気づく。

心の中は焦っていても、後ろについてくる(と思ってる)メンバー達のためにも到着させなければならない。自分の考えの浅さに泣きそうになるし、手伝いを申し出てくれるメンバー(そう、彼はリーダーシップを発揮してる。)に頼りきりそうな誘惑に襲われて、なんなら迷いに眠れない夜を幾度も過ごす。

心に描いたヒーローの私は、裸の王様に過ぎないと気づく。絶望で、穴を掘りたい気分になる。

そうして迎える、いよいよ緊張した局面で、慌てながらメンバーに説明したり、アタフタと助けられながらプロジェクトを進めて、もはやなりふり構わず、なんとか自分の大事にするものを守り、叶うならメンバーが共感してくれることを願い、なんとか、かんとか、ゴールにトライする。


そうやって、いつも関わっているなと、今週は思った。

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飛び込むたびに憂鬱になり、どこかの本の題名のように「憂鬱じゃなければ仕事じゃない」と言い聞かせ、自分は成長してると錯覚させる。
本当のところ成長しているのか、鈍感になっているのか、摩耗しているのか、判らない。
プロジェクトの終わりが来たとき、なんとなく楽しそうなメンバーの顔を見て「良かったんじゃないか?」と疑問形で思いながら心の整理をつけて、良かったことにする。

そして、次の場面が来て「前にやったことがある」とか自分に言い訳して、薄々と次の惨状を予感しながら飛び込む。ただ、飛び込む足が止まることはない。
理念とか、生きる意味とか、耳障りのいい言葉にもできるけど、ここで立ち止まったら二度と動けないという恐怖なのかもしれない。

そんな事をモヤモヤ考えながら、今日も何かに飛び込み、さらけ出し、のたうちまわる。そうやって今週も過ぎていく。

おわり。

#毎日出す 20191004 DAY12

読んでいて幸せになれたら、僕にも教えてください。きっと、僕も飛び上がるほど幸せです。 感謝の気持ちを、あなたの居るほうへ送ります💌