自己の連続性と責任

ちょりぃ~っす。
これについて
こいつが悩むのはそもそも自己の定義が曖昧なせいじゃない?

そもそもコイツは麻原よろしく脳と精神が別だと思っているヤベー奴だが、「精神が変容した後の自分は自分じゃない」と考えるのは面白発想マンである。

私は、いっそ、コンサータ を飲んでいる時が、真の私であり、他は全て、異常として認識することで、それを解決しようとしました。~中略~ 私は、「自己が連続している」という、多くの人が当然考えているであろう常識を疑わざるを得なくなってしまいました。

この二文を見比べるとあることが分かる。
精神の異常 = 自己の不連続
だと思ってるところ。
コイツの「不連続」を証明するには「自己」とはそもそも何かってところを明らかにしないとダメやん?(紳助)

そもそも完璧な自己の定義なんて無理無理産めない
社会的には殺した奴が悪い人だし、そこに精神が安定しない~とか言っても減刑はあっても無罪はないよな
唯一ビリー・ミリガンは多重人格が認められたけどあいつは記憶を共有してないから精神の不安定がどうこうではないな

つまりそもそも自己の定義ができないから 精神の異常 = 自己の不連続 とはならんやろ。答えは沈黙

補足

デカルト的には「我思う、故に我在り」なので

「コンサータ を飲んでいる時が、真の私であり、他は全て、異常として認識すること」

認識してる時点でお前なんじゃね_

とデカルトが言っております。


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