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私が夫を東京に残して京都に住んでいる理由(前編)

京都に住み始めてから1年ちょっと経った。
7年間一緒に住んだ夫を東京に置き去りにして一人暮らしをしているので、知人たちからはギョッとされる。

昔から歴史が大好きで毎年京都を訪れていたこととか、京都のイタリアンやパンが大好きだったことなどもあり、1年経った今も非常に楽しく過ごしている。

祇園祭のようす
豪雨の下鴨神社
須磨の海


そうではありつつ、「家が東京にあるのにわざわざ1人で京都に住むって、夫と仲が悪いの……?(逆にそうでないとしたらなぜ?)」と頻繁に聞かれるので、理由を説明していく。

理由の説明に入る前に、両親からは「離婚する覚悟があるならそうしろ」と言われたし、夫にはわがままを聞いてもらっている負い目がある……という釈明はしておく。


私のこれまで

私はかなり厳しい両親のもとで育てられ、
「これをやらなければならない(そうでなければ生きている資格がない)」というべき論と、
「これをしてはいけない」という禁止令の、
2つの板ばさみで窮屈に生きてきた。

大学生までは(かなり苦しかったが)ある程度はこの規範も通用していたし適応できていたが、社会に出た途端、実社会のルールとこの禁止令たちが激しく反発しあって、私という人間を引き裂いた。
適応障害で退職することになって初めて、「自分らしく生きなくては、この先まともに生きていくことはできないんだな」と気づいた。

このあたりは別の日記に詳しく書いているので、興味があればご覧ください。

夫の存在

私が夫と付き合い始めたのは大学5年生の頃で、適応障害で休職する2年前である。

私は夫に出会うまで、自分には生きている価値がないし疲れるからもう辞めたいんだけど、生まれてしまったので一応は「ここまで来たならまあいいか」のラインまでは生きないといけないんだよな、と思っていた。
マラソン大会で、どこかまでは全力で走るけど、ここからは走るのやめよう、みたいな。大体35歳くらいなのかなと思っていた。

でも彼は、どんな私も受け入れてくれた。

私が彼に合わせて食べたくないものを食べていたら「二度とこんなことをしないと誓ってくれ」と真剣に怒ってくれたし、不機嫌な私を見てもどんな時でも一緒にいたいんだと言ってくれた。
そのとき初めて「ああ、これが愛なんだな」と気づいた。

これがあるならずっと生きていけるし、同じだけのものを、この人に返してあげたいと思った。


魂の半分

適応障害で休んでいた期間が終わって再就職したり、それからしばらく働いたりするなかで、親しい人たちに「私の魂の半分は夫でできている」と言うことがよくあった。

私のボキッと折れたアイデンティティは、その場所を夫で埋めたのである。
自分の存在にはどうも自信がないし、自分の好きなこととかやりたいことはわからないけど、「夫が好きだと言ってくれる」その私には価値があるように思えるし、「夫が応援してくれるなら」やってもいいことなんだな、と思うようになった。

私の不安定であぶなっかしい価値観の、イネーブラーとして機能してくれていたのである。

それは私の価値観を自立させるうえでは大変良かったが、1つ重大な欠陥があった。
夫が私を承認してくれない、私を見てくれないと、この世の終わりみたいな気持ちになる。
夫が私を観測してくれていることが私のアイデンティティを成立させるので、不在になった瞬間に世界が終わってしまう。

リモートワークに励んでいる忙しい夫に、わざわざ時間を作って構ってもらったり、何かあると仕事中に話しかけたりしており、かなり邪魔していた。


転換期

私は(自分で言うのもなんだが)かなり気位の高い人間なので、「こういう
自分、イヤだな……
」と思うようになっていった。
誰かに依存しているのって、赤ちゃんのように気ままに振舞えるし、向こうがそれに応えてくれなかったとしても「なんで応えてくれないの!?」という狂気の逆ギレを繰り出せる。(それすらなんなら楽しい)

でもそれは健全な在り方ではないし、彼の魂を傷つけていると思うので、自立したいなあと思うようになっていった。


That day

そしてその日が来た。

去年の8月、EX予約で京都行の新幹線を間違えて予約してしまった。
夫は仕事があって行けないというので、1人でちょっといいホテルを予約して、同僚が教えてくれたた秘境を巡って、大満足の旅行を終えたのである。

旅行から帰ってきた私は機嫌がよく、「完全リモートワークだしさ、もう京都に住んじゃおっかな?(笑)」と何気なく言った。

すると夫は、「そにすはいつも地方に住んじゃおうかなって言うけどさあ……。こんなに行動力があるのにまだしてないってことは、一生しないってことだよ」と呆れ気味に言った。

これが私の心に火をつけた。
やりたいことがあるのにそれを一生(!!)やることのない臆病者だと言われて、「えへへ~まあ、たしかにそうかもね~😊」って言うほど、私の気は弱くない。

「へ~え? あ、そう。 じゃ京都に住むわ。自立したいと思ってたしちょうどいいよね」

こんな具合で、京都に住むことが決まった。

夫はその場では「やらないと思うけどねえ……」と言っていたが、京都の家を内見して「本当に住むからね」と念押ししたときも、「あ、そう。わかった。気を付けて帰ってきてね~」という緩さであった。


後編に続きます。
実際に1年間京都に住んだ結果を書くつもり。

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