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最低な人たちから教わった、最高の生き方。

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20代の頃、わたしは飲食業界で働いていた。くせ者オールスターズみたいな環境に10年以上もいたせいなのかもしれないが、自分は結構ヤバい人とでも普通にコミュニケーションが取れる部類の人間だと思う。

こんなダメな生き方でもアリなのか!って思ってしまう人ばかりだった。それは、一緒に働いていた人たちばかりでなく、出会ったお客様も含めてのこと。けど、いま思えば自分もそのダメな生き方をしている一人なのかもしれないし、むしろダメな生き方を愛しているのかもしれない。

ちなみに、飲食業界を去った後、おとなしくホワイトカラーの職にも就いてみた。こっちは、くせ者オールスターズどころか、くせ者名球会だった。

社会って、ダメな人間が集まることで作られると思っている。なにもかもが上手くいってる人が集まると、それは社会ではなくコミュニティーである。そんで、社会とコミュニティーの差って、素の自分をどれだけ出せるのか、どれだけ受け入れてもらえるのかという許容度の違いのことでもある。

以前、ある方が主宰していた“コミュニティづくり”のセミナーに参加したことある。わたしは途中でそそくさと退席した。“空気を読む”とか“仲間に信頼される”とか、スクールカーストの延長みたいで嫌気がさした。

“ダメ=悪い”という考えを持つと、人はお互いを信用できなくなり、やがて自己不信に陥ることになる。

地域や家庭、そして自分自身。
ダメなところがあっても変わらない日常生活がある。それは万事OKということでもある。わたしの近所は朽ちはてた標識だらけだ。けどなにも起こらない。それは、街がうまく機能している証拠でもある。

人の体やメンタルも同じ。
痛みがあっても生きている。自信がなくても生きてきた。

痛みやコンプレックスは、あなたから愛されたいのである。愛することで痛みやコンプレックスは自立し解放される。

悪いというレッテルを貼れば、その付き合いは一生続く。愛されなかった幼少期がトラウマとなって突然蘇るように、痛みやコンプレックスも愛されなければ癒されることはないのだ。

“美はただ乱調に在る”
これは近代の社会運動家・大杉栄の言葉である。

3000億個の新たな細胞が人の体では毎日生まれ、それに呼応するかのごとく、我々は常に心地よいカオス(混沌)を求め生きている。人の体は社会の縮図であり、宇宙全体をフラクタルに模している。

どんな矛盾であろうと、それは宇宙に包括されていることであり、それに逆らうことはできない。だから、わたしはどんな矛盾も愛することに決めている。

すべてを受け入れるとき、あなた自身がカオスの一部となり、社会に受け入れられる。あなたの愛が深ければ深いほど、より粒子のように溶け込んでいくはずである。

その自分の愛が溶け込んだ社会を、あなた自身も愛さずにはいられない。社会は決して敵ではない。かといって味方でもない。ただひたすら、自分に近い存在なのである。

つながりとかコミュニティとかサロンとか、そんな言葉をよく見かけるけど、なんか違和感があるし、まず体が受け付けない。いい悪い関係なしに、心が揺れるもの以外興味はない。そう、わたしはカオスが好きなのだ。

Love your life !


※写真はすべて台北で撮影。

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