見出し画像

Giveの精神よりも、Lostの美学を貫いた者が愛される。

親の性格は子どもに影響すると言われるが、実際は“親の性格パターン”がそのまま子どもに引き継がれると言ったほうが正しいのかもしれない。性格パターンとは外部環境に対する反応の仕方のことであり、他人の目を気にして生きてきた人は、親の目を気にして生きてきた人である可能性が高いとも言える。そして、その性格パターンは本人が気付かぬうちに、また自分の子どもに引き継がれてしまうのである。

生きづらさの原因って、自分の中に探そうとしても意外と見つからない。親との関係性を見直したり、親と自分の似ているところを客観的に探してみるほうが解消方法は見つかりやすかったりもする。

富裕層を中心に流行り始めたマインドフルネスも、競争という自分が置かれた環境から抜け出さないかぎり、本当の安らぎに至ることは難しい。一部の人間が謳っている経済的自由という名の実体のない自由の中には不自由しかなく、本当の精神的肉体的自由は、がんじがらめの不自由さの中でこそ感じ取ることができると私は思っている。

失う覚悟がない者ほど、Giveの精神に憧れる

ギブ&テイクが死語になったあと、ギブ&ギブとかギブ・ギブ・ギブという言葉に上昇志向の強い若者や自己啓発好きな人たちが飛びついた。けれども、マインドフルネスやヨガに群がったニューヨーカーのように、“自分のため”に行うことはたとえハードルの高いものであれ、“自我”という戦ってはいけない相手と対峙するという自殺行為になりかねない。

氣の世界では、愛とお金は寂しがり屋と考えられている。愛もお金も受け入れてもらえる隙間が欲しいのだ。だから、失うことは恐れることではない。むしろ、率先して失うことでこそ本当に望むものがやってくる。余裕のふりしてGiveを実践するよりは、むしろ本当の喪失感と孤独を味わったほうが自分らしさで勝負できる世界に辿り着けるはずである。

日光東照宮には「逆柱(さかさばしら)」という、一本だけ彫刻の模様が逆さまになっている柱が存在する。これは、建物は完成と同時に崩壊が始まるという言い伝えから、わざと柱を未完成の状態にすることで災いを避けるための魔除けの意味があるらしい。

結局、仕事も健康も自分磨きも、ほどほどがいちばんだと私は考える。理想とか努力で自分を縛り付けるのは自由だけれども、そういう自由を謳歌する人ほど他人まで縛り付けようとする傾向があるのも事実。あなたの自由も他人の自由と衝突すれば、そのエネルギーで不自由を生み出してしまう。

だから、これを読んでくれているあなただけでもゆるんで、ほどほどの生活を実践していただきたい。ゆるんでできた、その隙間にきっとなにかが落ちてくるはずだから。

Live your life !

応援お願い致します。