自分は何者なのか?の始点

私は長いこと、自分というものは一体なんなんだろう?と考えてきた。いつからそれが始まったのかはわからないが、小学校3年の頃に読んだキュリー夫人の漫画に影響されてなぜ?という質問を生活の中に取り入れ始めたのが一番古い記憶である。キュリー夫人だったか野口秀夫だったかヘレンケラーだったかは曖昧なところだが、とにかく学校の図書室にある漫画と言えば偉人伝ぐらいだったので夢中になって読んでは過去の偉人たちのマネをしていた。今思えばそうすることでなんだか自分が特別な人間だと思いたかったのかもしれない。そしてそれらは私の人生の中でもっとも重要な要素となる、なぜ?と考えるプロセスはこうして今、アーティストとして生きていくための土台となり養分となっているのである。

なによりも私は人生の中で何度も悔しい思いをした。それは一般的な成長過程である程度大多数の人びとが経験するであろう悔しさではなく、言うなれば不必要な悔しい思いをたくさんしてきた。その度に私はなぜこんな目に遭うのだろう?と考えてきた。時には感情的になり、心の中で対象人物たちを侮辱し何度も頭の中で復讐する様を妄想した。しかし大概の場合、復讐する相手すら見つからない。その人そのものが悪いのではなく、その人の背景にある政治的なものだったり国家という巨大な権力だったりすると復讐のしようがない。そしてそれは今も変わらず、現在進行形である。

わたしは今、自分とは何者なのだろう?という問いに対して答えを持っている。それは本当に長い道のりだった。20代前半の頃には生きる歓びを失い、何度も自殺未遂をした。今もし、過去の自分に会いに行って何か言葉をかけてあげることができるとしたら、わたしはこう言いたい。あなたの未来は大丈夫だよ、と。しかし残念なことにわたしにはそれができないので、こうしてつらつらと書き残していくことにした。ここには目的もなければ誰かのためという名目もない。ただ単純に私がここに存在していてこうして文章を書いているだけにすぎない。