ヤマザキマリ/とり・みき「プリニウス」

当初連載していた雑誌「新潮45」の休刊といった危機を乗り越え、現在は「新潮」で連載中の「プリニウス」。今月、待望の第10巻が刊行されました。それぞれ独自の作風を確立させている漫画家同士の合作がここまで高いレベルを維持しながら継続していることは快挙といえるでしょう。
物語はまだまだ続いていますが、単行本も10巻を重ね、大きな区切りを迎えたので今回取り上げた次第です。

プリニウスは古代ローマ時代に活躍した文人で、天文から動植物、さらには絵画、彫刻、宝石に及ぶ森羅万象を記述した全37冊に及ぶ大著「博物誌」を残したことで知られています。科学が発達してからは誤りや怪物についてなど非科学的内容も多いことから顧みられることが少なくなりましたが、日本では澁澤龍彦が奇想の宝庫という視点から紹介したこともあり(「私のプリニウス」という名エッセイがあります)、幻想文学ファンにも知られている存在となっています。

本作は世界のすべてに好奇心を持つプリニウスとその一行の活動が中心となっているのですが、物語において裏の主人公と呼ぶべき人物がいました。時のローマ皇帝だったネロです。
歴史に名を残す暴君として知られるネロですが、ここで描かれるネロは、本来ギリシアの文化と芸術を愛して過ごしていればそれなりに幸せな人生を送れたであろう人が、こともあろうに皇帝になったばっかりに、常に不安に苛まれ、セネカをはじめとする忠告を与える賢人は追放、殺害し、権謀術数に巻き込まれる哀れな存在となっています。彼がしたことは到底許せるものではないのですが、単なる悪役ではなく、人間らしい弱さを持った陰影を持つ人物として描かれているのです。

最新刊である第10巻でついにネロは死を迎えらのですが、最後の自害に至るまでの心理、行動が丹念に描写されています。特にネロの心の中にだけ存在するオウムにこれまでの暴言や哀願を浴びせられる場面や、自害の直前に観衆の喝采を浴びる芸術家としての己を幻視する場面は圧巻です。物語が大きな節目を迎えたことが読者にはっきりと伝わってきました。
栄光あるローマ帝国の中心を占めながらもネロが登場する場面は暗い描写が多かったのに対し、帝国の辺境を巡るプリニウス達は明るく描かれており、この対比がここまでの物語を牽引する原動力となっていたと思います。

一方、プリニウスとその仲間たちはさまざまな事件に巻き込まれながらも東西の交易の地、パルミュラにたどり着きます。ここでプリニウスはインドの文化に接するのですが、注目すべきはガンダーラを故郷とする僧とプリニウスの会話の場面です。自分は仏教の僧であると名乗った人物が「かの地にはかつて王の身分であったギリシャ人がこの宗教に改宗した事もございます。」と語ったことに興味を示したプリニウスは「ほう…その話、ぜひ詳しく聞かせて欲しい」と尋ねます。それに対し僧の答えは「あいにくこの宗教は言葉では言葉では説明しづらいのです…ご興味があるならぜひ東へ行かれて下さい」というものでした。

いつものプリニウスならここで、よしガンダーラを目指すぞ!となっても不思議はないのですが「東…ガンダーラか…」と呟くだけでした。巻末の作者対談を読むと「さすがにそれだと西遊記になってしまうのでやめました」とあるのですが、作品自体の論理に基づいて考えてみると、プリニウスの情熱は世界の全てを言葉で記述することにあるので、言葉では説明しづらい世界、すなわち不立文字の世界には踏み込めなかったと取れます。言葉にできない世界を言葉にせんとするプリニウスの姿も見てみたかったのですが、西洋の理法と東洋の悟りの境界線が浮き彫りとなった、興味深いエピソードでした。

11巻以降どのような新たな物語が広がっていくのか、これからも読み続けたいと思います。

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