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表現者のジレンマ

表現の自由で救われる人って多々いると思う。例えそれが一般的には受け入れられないものだとしても。

このあたりの話は、前職の同僚と会話をしたことがある。お互い酔っ払ってたのもあるが「俺達、神絵師に救われてるんだよ!!」と私が力説していた。居酒屋で。

例えば、LGBTQの細かなところ・ディープな話であったり、特殊な性的指向だったり、それらがあるからこそ理解が進むことも多々ある。
恐らく必要なのは、◯◯のテーマに関する表現は全てNG!!とするのではなく、一般的な広告で出ないようにする…などの処置じゃないかなと思う。実際それを構築するのが大変なのだと思うけれど。

それらを見たい人たちは自分で検索して見に行くと思う。誰かが不快に思う理由って、「見たくもないのに見せられている」からだもの。
私もさすがにネットの漫画広告の男性&女性向けエロマンガはちょっと…うん………ってなる。

たまーにこういったことが話題にあがるが、恐らく主に議論されてるのはエロとグロに関することだと思う。
確かに子どもが見ちゃうかもしれない…はあるだろうが(いつ見始める、検索し始めるは時間の問題だと思うけど)、それらを全否定するのは違うと思う。

その後ろには、「エロは悪、教育に悪い!」って考え方がちょっと滲み出てない?ってこと。そうとも限らないだろって思う。
AVで学ばれるのはいかがかと思うが、最低限必要な知識だと思うぞ、やりたいなら。ちなみにこれは男女共に共通で必要な知識、という意味ね。

そのあたりでもやもやしている。表現云々の前に、なぜ必要な知識が悪扱いなのかと。

成人向けコンテンツは、知らない人から見れば、つくってる人たちがお金のためだけにやってるって思われがちなところがあるのかもしれない。確かに仕事はお金は発生する、更にエロは通常よりお金になるし、需要がある。
けれど、金銭の有無関係なく、つくってる側はそれだけのためにやってるわけじゃないように思う(儲かるからとやってる人はいるとは思う、言うて一度成人向けコンテンツに手をだすと、通常の業界に戻れないからなあ…)。

生きてる世界が違うのだから通じなくても仕方がない。つくらない人につくる側の気持ちなんてわからない、わかろうともしてないわけだから。

それぞれに意味があって、健全だけが全てじゃない。だって、人間自身が矛盾を抱えてる生き物なのだから。
ジョージ・オーウェルの「1984」もそういった性的行為・性的コンテンツは禁止された世界だった。そういったものは影に隠れてひっそりと楽しむ世界だ。なんかそれに向かってるのかな…と勝手にぞわっとしてしまう。

だから、健全だけに偏るのは危険な気がするなあ。けども、それぞれが論点ズレてるんだろうなあ、私含め。


May the wind be ever at your back

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