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『日々を歩いて vol.10』~水路をひいて対話をしよう(稲葉俊郎)~


『THE NATURAL SHOE STORE』Webサイトへ、
Web連載記事を掲載しました。

THE NATURAL SHOE STORE
『日々を歩いて vol.10』~水路をひいて対話をしよう( 稲葉俊郎)~
http://www.thenaturalshoestore.jp/journal/hibiwoaruite10/


2020年4月掲載
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からだが弱く、幼いころから「死」が身近にあった。

小児病棟のベッドの上で天井を見上げながら
この世の不思議と向き合っていた、小さなからだ。

なぜあの子が死んで 僕は生きているのか。

なぜ周囲の大人は 僕のことを可哀想という眼差しでみるのだろう。

なぜ夜が来たら 眠らなければいけないの?

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いのちとは。

生きるとは。

しあわせとは。

..........


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身体的に制限のある環境で、ちいさくおおきな「なぜ」の問いを繰り返し、自らとこの世の仕組みについて関心を深めていた幼い稲葉俊郎さんの毎日は、その後、広くて深い探求の日々へと受け継がれ、人生を掛けてそれらの問いに応えていくこととなる。

2017年にアノニマ・スタジオより発行された著書『いのちを呼び覚ますもの』は数多くの人の手に渡り、身体の内側で鮮明に発色する稲葉さんの言葉は、いのちの新鮮さをもって多くの人の心身を廻った。


全体性を捉え、調和のある状態を “共に探る” 本来の姿へ


2020年3月まで、東京大学病院循環器内科に勤め、難解な心臓カテーテル手術に高度な技術で応える傍ら、いのちにとっての幸せを問い続け、医療のあり方を模索してきた。

「病」を定義し "敵" と闘う対処療法が中心の従来の医療から、「健康」を軸に生命の "全体性" を捉え、調和のある状態を多様な視点から “共に探る” 新たな医療(本人はこれを「本来の」医療という)への変換を試みる。音にならない身体や無意識の発するコトバに耳を傾け、サインを読み取り丁寧に対話を続けることが医師としての自分の役割だと話す。

その取り組みは病院内にとどまらず、西洋医学の現場に身を置きながら多種多様な代替療法の学びを深め、長年続ける在宅医療では様々な境遇にある患者や家族と多くの生々しい瞬間を共にしてきた。


必要なとき、必要な水路がとおるように


自らバランスを図ろうとする身体の潜在的な力の可能性を体感しながら、一人の存在(患者)を前に、表層に現れる表現(症状)の奥でいのちが織り成す深遠な世界との交流を図り、滞りのあるところには「水路」を通し、水を、エネルギーを廻らせようと試みる。

それはもちろん、身体機能に限ったことではない。気力が無く内に籠ろうと心身がはたらくときは、決してエネルギーが枯渇しているわけではなく、エネルギーが無意識の世界に退行している状態と捉え、それはその人にとってかけがえのない時間だと稲葉さんは受けとめる。

「無意識の世界に蓄積されるエネルギーが、何かを触媒にして意識の世界への水路がひらかれたとき、エネルギーは構造化(コトバ化)して地上で豊かに育まれていくんだと思います。大切なことは、蓄積したエネルギーを腐敗させずに発酵させるということですね。」

意識と無意識のあいだの「水路」を通し、発酵させる。それは、「なぜ、毎日眠らなければいけないの?」という幼いころに投げかけていた問いの答えでもあった。


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からだも社会も、まわしながら、めぐらせる。

そうした彼の大きな眼差しと共にある取り組みは、業界を超えて多くの人々の共感を得て、近年では食や音楽、芸術、教育など、いかなる枠にも収まり切らない総合的なアート活動へと拡がりをみせている。

様々な局面において限界の見え隠れする今日、医療がその枠を超える様子は必然的なようにも思えるが、稲葉さんは、それは今に始まったことではないという。

「かつて医師を志していた道半ば、学ぶ医学は何をとっても海の向こうに起点があり、誰かの手により輸入されたものでした。月と太陽のめぐりのもと、700万年の人類の歴史の中で常に波打ち続ける意識と身体を、わたしたちの先祖はどのように調和を図り、命を繋いできたのだろうかと考えていたんです。」
「日本古来の "医療" の起源を探っていくと、わたしたちの文化の中に、その姿がみえてきます。茶道、花道、香道、剣道… といった伝統文化にある多様な「型」の中にこそ、身体感覚を整える手技の極みがあることに気付きます。そして、祭り、銭湯、花見、唄い…といった庶民の文化的な暮らしの中で、わたしたちは心身の調和を保ってきたんですね。」


八百万の神のもと、個でありながら個を離れ、相反する作用をもった矛盾を孕(はら)みながら、身体を通じて他者と共振、共鳴をして調和をはかってきたわたしたち。稲葉さんは、「光と闇、生と死が共にあり、それぞれが綱を引き合うことから生まれるエネルギーが、私たちのいのちを巡っている。そうした要素をもった土地に根付く風習や文化こそ、個々に寄り添う医療として、長い間息づき、機能していた」と医療の原点を捉える。

歴史を遡ると見えてくる、そうした本来の医療の所在を、今、稲葉さんは新たなかたちで現代に取り戻そうとしている。


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大丈夫な人が、そうでない人に「大丈夫」と言える社会を

「人間は、自然界の中で極めて弱い生物です。人の手と愛が無ければ、生まれて間もなく命を落としてしまうのが人間ですよね。弱いからこそ、コミュニティをつくり、支え合って今日まで生命を繋いで来られた。同じ人間でも、様々な要素によって常に異なる力の強弱が存在します。

体力がある人/少ない人、経済力のある人/乏しい人、免疫力の強い人/弱い人、そして置かれた環境や状況も様々です。強くて持っている人が、弱くて持っていない人を支えるのが社会をつくる本来の目的であることを忘れたくないですね。医療においても同じです。大丈夫な人が、そうでない人に「大丈夫」と言ってあげられる仕組みが医療にも必要だと思っています。」


人はそれぞれに異なるエネルギーの強弱を内包している。他者や世界と有機的に交流しながら「抑え、補う」ことをして初めて全体としての命を繋ぐことができる。自らを、コントロール可能な強い生物と見誤ってしまうことなく、弱い存在として、共生しながら互いに「大丈夫」にしていく社会を共に創ろうと、稲葉さんは呼びかけている。

この春、稲葉さんは11年に渡って務めた東大病院の務めを終えて、軽井沢の地に活動の場を移す転機を迎えた。ここ数年の間に、アノニマ・スタジオ、春秋社、NHK出版などから著書を出版、各種メディアからも注目され、2020年秋に開催予定の山形ビエンナーレでは芸術監督を務める。忙しい只中にあるこのタイミングで迎えた移住の決断には、何かきっかけがあったのだろうか。


「2011年の東日本大震災後、東北へ医療ボランティアに赴いたとき、地元の方々や子供たちから投げかけられた問いに、医師として答えられなかった自分の姿がずっと心に刻まれているんです。その時、「このまま死ぬわけにはいかない」と思いました。自分が思う医療の姿、社会のあり方を小さな規模でもいいから形にすると決めたんです。当時から、2020年が一つの節目になるだろうと思っていました。」


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身体感覚を頼りにしながら、向かう方向へ舵取りをする


「アートや音楽に心震えていた高校時代、春休みに地元熊本から両親に連れられて東京見物巡りをしました。その時、僕は自分の身体感覚でその後の進路が決まったんです。大学のある構内に立った時、"あぁ、自分はここに通うんだ。じゃあ今から勉強しよう…!"というように。

 今回、軽井沢の地を選んだ理由もこれに似ているかも知れません。これまで過ごした東京という場所との距離感も含めて、腑に落ちる心地よさが軽井沢にあったんです。自然と都心との距離感や温泉(地中のエネルギー)の湧く土地、共感できる人々の存在…など理由を挙げれば出てくるけれど、理由の多くは、あとから認知したもので身体感覚を支える事象に過ぎません。何より、心地いいと全身で感じるものを選ぶことですね。」


転機を予測した時機についても、彼の身体感覚から発せられた数字だろう。実際、自身の結婚や新たな家族の誕生、子育てのタイミングなど、「今を逃すわけにはいかない現実」が重なり、奇しくも2020年3月11日に新天地へと拠点を移した。


春からは、軽井沢病院を軸に、信州大学社会基盤研究所や東京大学最先端科学技術センターに身を置きながら、医療、教育、芸術が共にある社会の仕組みづくりに携わる。


かつて、病院の天井に向かって一人投げかけていた、無数の問い。

その応えを日々の歩みから受け取って、また投げかける。

投げかける先は、多くの人を巻き込みながらこの瞬間にも広がっている。

これまで重ねた月日の最先端で、今日も「常に新しい一日」を歩み、新たな土地で、新たな人々との取り組みを始めている。


「生まれてから5歳のあいだに備わるものは、生まれもった性質や発育環境によって様々です。それをその後の人生でいかに育てるかは自由です。過去に固執することはなく、常に更新をしていきましょう。不都合に構造化されたものは、何らかの不具合が生じて更新していく必要がある。人はそうして成長しながら、意識の構造を更新し、「自然」の状態に近づいていくことが本当の豊かさではないでしょうか。」


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「まだ、発想はカオスです(笑) 皆さんそれぞれの持ち場から、
是非、このカオスに巻き込まれてください。
それぞれに閉ざされたところに水路を引いて、対話を重ね
いっしょに「大丈夫」を創っていきましょう。」



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オリンピック招致が決まって以来、稲葉さんがあちこちで口にしていたことがある。「オリンピックを、結果を競い合う場から、身体の豊かな可能性を表現し合う場にしたい」。身体を酷使して結果へ向かう姿も感動的だが、これからは、神秘ともいえるわたしたちの身体とその創造性を分かち合う平和の祭典へと手渡されてもよい時機かも知れない。不安や混乱の中で幻となった2020夏の東京オリンピックが、いずれ身体表現の祭典として世界の各地で再生し、互いに繋がり合う世界の姿は、きっとすごく素敵だろう。

2020年4月


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以下、稲葉俊郎さんHPより

…………

いろいろな分岐点というものが常に出てくる。自分が決断しないと行けないときもあれば、誰かが決断したことに従わざるを得ないときもある。そうした時に、これはダメでこれはイイ、と、単純に二元論で決めてしまわない。

いいことだけど困ったことだ、困ったことだけどいいことだ、というあたりで、みんなが共に心を揺らしながら、一緒に関係して参加していると、二つの考え方の真ん中辺りに、解決の道が見えてくると、思う。

そのためには、まず現状をグッと受け入れて、保持して、保持しているときの流れの中で何かが変容していくのに耐える器量を待つ力が必要になる。

(中略)

可能性は、プラスのものもマイナスのものも一緒に入っている。だから、ちょっとの揺れの違いで、どちらにも動きうる。遠くどの方向を見据えて舵取りするかは、こうした難局を乗り切り漂流しいために、大事なこと。

自分が乗る船は、いのちの光源の方向へと、舵取りを進めていきたい。それぞれが個人的に何かを宣言する時期が来ているように思う。

自分は、宣言の一つとして、本を書いた。

TOSHIRO INABA HPより(2020年4月 Blog)
https://www.toshiroinaba.com/


稲葉俊郎
https://www.toshiroinaba.com/

<著書>
2017.12「いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ」アノニマ・スタジオ
2018.9「ころころするからだ: この世界で生きていくために考える「いのち」のコト」春秋社
2019.9「学びのきほん からだとこころの健康学」NHK出版


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