死ぬ事ばかり考えてしまうのはきっと生きる事に真面目すぎるから
何が好きかわからない。
今もって私は自分が何が好きなのかが
わかりません。
ひとつだけ言えるのは私が好きなものは
目に見えないものと言う事です。
私は労働が苦手なので
起業しようと頑張っていました。
共感能力の高さを生かそうとして
カウンセラーを目指していました。
色々なクライアントさんが居て
色々な話を聴いていました。
ある時ふと、気づいたのは
人の愚痴を聴く為に私は生きている訳じゃない、と言う事でした。
世の中には優しい人がたくさん居て
人を助ける事が好きな人が大勢います。
けれども私は思うのです。
この人達は、人の話を聴くのが好きなのではなくて、
人の話を真摯に聴いている振りをしている自分が好きなのではないかと。
本当に人に寄り添っていける人は、
例えば、今すぐ死にたいと訴える人にも
ナチュラルに寄り添っていけるのではないかと思うのです。
別に心理学など必要ありません。
この人は過去にどういう事があって現在に至り、今はどのような状態で、これから先、どうしたいのだろうか?と
その人の心の事実を時系列で追っていけばいいだけの話なのです。
しかし、この事実だけを真摯に聴くと言うシンプルな事ができないのが人間らしいのですね。
聴いている人間にも感情どういうものが入って来ますし、ああわかります。と
つい、同調してしまうんですね。
この同調どういうのが、クライアントにとって、どんなに苦痛かわかりますか?
私になった事もないのに、簡単に分かると言わないで、と思っている事を理解しているカウンセラーがどれほどいるでしょうか?
実は日本には本物のカウンセラーはいません。カウンセラーという職業は、
私はどこどこの社団法人の資格をとりましたから、カウンセラーです。と名刺に書いてあるだけなんです。意味が無い。
ファシリティターという言い方もあります。実はカウンセラーではないカウンセラーが横行している事実が、日本にはあります。
セラピストと言うのも同じようなものです。
私はセラピストです。と名刺に書いておけばセラピストになってしまうのです。
私も、傾聴心理士という資格をとりましたが、勉強会には参加していません。
何の苦労も経験値もない人が、資格をとりました。勉強しました。というだけで
人の心に踏み込んでくる。恐ろしく無いですか?
過去、何回か私も実際にカウンセリングを受けた事がありますが、
ただ、話を聴くだけで、こちらの気持ちに寄り添ってくれ、温かい心で聴いてくれるカウンセラーには残念ながら出会った事がありません。
理屈はいらないのです。
同調もいらない。
ただ、あなたは頑張って生きて来たんですね。
と一言、寄り添ってくれるだけでいいのです。
心を病む人は、他人の心に敏感です。
カウンセラーを名乗るのであれば、他者に対する意識を敏感に保って居てください。
私がカウンセラーを降りたのは、自分の心の整理でいっぱいいっぱいで
他者に寄り添う余力が無いと悟ったからです。
自己満足のカウンセラーにお金を払うなら、そのお金で映画でも見に行きましょう。
何が好きかわからない私は、自分の人生は、好きなもの探しと決めました。
生きているうちにどれだけの好きなものを集められるか、どれだけ美しい時を過ごせるか?
人任せにせずに自分の足で歩いて
確かめていきたいと思う今日この頃です。
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