野垂れ死ぬより安全な道を選んで病む方が怖い。

私は、毎朝ねぼけまなこで、手持ちのカードを1枚めくる。

大抵は「鬱」のカードが出る。

たまに「楽」のカードが出るときもある。嬉しくて、ついその日起きたことを事細かに日記に書き留めてしまう。

めくり続けて、ある日突然、「死」というジョーカーがでるのではないかと考え、クラッとする時がある。

もしくは、「鬱」のカードが100枚貯まったらジョーカーと交換できるとかいうルールがあったらどうしよう、などとベッドの中でぼんやり考える。

毎日引き続け、徐々に溜まっていく「鬱」のカードを眺めつつ、もしカードをシャッフルできたとして、元々手持ちの「鬱」カードの枚数は変わらないだろうから、特に意味はないよな、といつもひとりごちる。


どうせこの先も、鬱カードは出続ける。


そう考えていくと、最後はいつも同じ結論にたどり着く。


とりあえずということで、そこらへんの会社に就職して、恋人をつくって、結婚して(そこまでいけるのか?)、、、

このままありきたりなルートに沿ってコマを進めたところで、私の手元に「鬱」カードが出続けることは変わらない。

残りの「鬱」カード枚数は変わらない。私の心を襲う不安の裏には、いつだって具体的な根拠が控えていない。


だったら、せめて、好きなことして人生を消費した方がいいんじゃないか?と思う。

憂鬱がすぐそばで控えてくれちゃっている私の場合、安心安全の生活を追い求めるのではなく好きなことして生きることが、ゲーム理論でいうところの絶対的優位の戦略ではないか。

坂口恭平さんの「苦しい時は電話して」という本にこんな言葉があった。

死ぬくらいなら、飢え死にしてもいいから、とにかく自分がこれだと思ったことにだけに夢中になった方がいい。自殺せずに、飢え死にしよう大作戦です。

坂口恭平『苦しい時は電話して』

坂口さんいわく、これが意外になかなか飢え死にしないらしい。

この本は、うつ病や躁うつ病に悩み自死を考えてしまう方のために書かれた本で、血肉となることばかりが記されていた。(おすすめです!)


今を楽しく生きられる人は、根拠のない不安に駆られ過ぎない人は、未来を先延ばすために安全な選択をすることも、取り逃せないことなのだと思う。

彼らにとっては、たっぷりとある自由な時間を楽しく使える学生生活を手放して、社会人として働き始めることが、選べない選択なのだと思う。


学生生活、自由な時間がたっぷりあっても、私はちっとも楽しくなかった。病んでばっかりで、なんならはやく社会人として働けるようになりたいと思っていた。


そんな私が、大学を卒業し、社会人としてすぐに働き始めないというのは、これまた皮肉なことだなとも思うけれど、やっぱり憂鬱に溺れがちな私の人生において、リスク回避を優先する意味はないな、と何度も納得させられる。


そう考えると、新卒切符を捨てることも、バイトでコツコツ貯めたお金を、専門学校の学費に全額ベットすることも全くこわくない。


いつか、朝起きて、「幸」のカードを引き当てたい。


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