辛いのはあなただけじゃない、なんて言わないでよ

いつものように、かたちのない不安に襲われ、絶望したり、クヨクヨしたりしていると、

周りの人に「つらいのおまえだけじゃないよ。俺だってつらいよ。」と言われることが多い。

この言葉には、「甘えだよ」「あなたが弱いだけだよ」という責めの気持ちが見え隠れする。

だからか、いやそんなんわかってるわ。と若干腹が立つ。こういった経験が多すぎるため、いつからかこれを反面教師にし、人から悩みを打ち明けられたときにはそれがどんなに些細なことでも、「大したことじゃないよ」と言わなくなった。 
(もちろん、そういう風に慰められたい日も、人もいるだろう。)

私はただただ、相手の話を最後まで遮らず、うんうんと聞くことを徹底する。

先日、この手の返しで、革命的なものに出会った。

彼女は、「あなたはいっぱい考えるからつらいよね。私は考えるの途中でやめちゃうから、あなたより生きるのが楽だと思う」と言い切った。

また、違う場面では、

「そんなに心配しないで。私、意外となんも考えていないから。」とも言った。

「楽に生きられている」と自分で言ってしまう人の守りたさったらない。

自分のことを楽に生きられるタイプとか要領がいいタイプ、器用なタイプなどと言ってしまったら、「じゃあこれもやって」とか「こういう負担も背負って」と言われかねない。

だから、大半の人は、彼らがたとえ思考を途中でやめられるタイプの人であっても、「俺だって悩むことあるよ」と言っておくのだ。

ただ時たま、そういったリスクを計算せずに、私と君をちゃんと棲み分けして、「こちら側はこんな世界で、だからそちら側にこんなものならあげられますよ」と手を差し出してくれる人がいる。
私は彼らのその覚悟にぐっとくる。

と同時に、そうやって向き合おうとしてくれる人を絶対に利用しないと心に誓う。「あの子は生きるの楽って言ってたから、あれくらいやらせていいよね」とかは厳禁だ。彼らが棲み分けのために引いてくれたやさしい線を利用してはいけない。

同じ理論で、「私はポジティブ思考です」と言える人にも、かなわないなと思う。

「私はネガティブ思考です」と言った方がいろいろ有利なことが多い、気がする。

私は、ネイティブネガティブだから、自称ネガティブという人に出会うと、「そのネガティブ、奥行きがないねえ~」などと意地悪いことを考えてしまう。

対して、ポジティブだと言い切る人には、ちゃんと目を配っておこうと思う。彼らは、保険をかけずに言い切る危うさをそなえている場合があるからだ。


オードリーの若林さんも本で言っていたけれど、早く脳周波とかで、この人がどのくらい不安に苛まれているかとか、どのくらい悩んでいるかが数値化されればいいのに、と思う。


案外、私の数値は低かったりして。

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