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【視点02-経営学×久留米絣】 大田康博教授インタビュー

久留米絣の作り手ではない方に、それぞれの専門的な見地からのお話を伺うインタビューシリーズ「視点」。

第2回は、経営学がご専門で、長年国内外の繊維産地の研究に携わってこられた大田康博教授にお聞きします。大田教授は、テキスタイルに関わる様々な人が集い、交流する、年に一度のイベント「テキスタイル産地ネットワーク」の主催者でもあります。
久留米絣の生産地である筑後産地※のことはもちろん、国際学会で注目が集まり始めているクラフトのこと、産地における〈よそ者〉の役割、そしてご自身の研究について、たっぷりとお話を伺いました。

※久留米絣の産地を含む、福岡県南部の地域。

【プロフィール】
大田康博(おおたやすひろ)教授
周南公立大学経済学部

繊維・アパレル産業を中心に、地域の持続可能性に関する研究を継続。
著書『繊維産業の盛衰と産地中小企業:播州先染織物業における競争・協調』(日本経済評論社、2007年)で中小企業研究奨励賞本賞を受賞。
2017年から、テキスタイル業界の仕組みや繋がりを変えようとする人々が議論・交流するコミュニティ「テキスタイル産地ネットワーク」を企画・運営。経営学博士(大阪市立大学)

●経済学と経営学の違い

――私自身が経営学や経済学に大変疎いんですが、先生のご専門の分野は「産地経営学」ということでよろしいのでしょうか?

産地経営学…という分野はないかな。経営学ですね。
経済学と経営学の違いというのは、経済学は例えば「人間はなるべく少ない費用で目的を達成しようとするものだ」という仮定を置いて、だとすれば人間はこういう時にどういうふうに行動するのか、という一般論を作っていくものですね。
産地の生産量の増減といった大きなトレンドや、各企業の共通点みたいなものに注目して社会を見る、というのが経済学的な考え方です。

経営学は、例えば日本企業の特徴などを見る場合に、共通点を確認した上でさらに一つ一つの企業の違いに注目するんですよ。
例えばトヨタと日産の違いとか、セブンイレブンとローソンの違いとか。
各企業の戦略という言葉で表現され(ているものであっ)たりとか、(各社の)社風のようなものなどを見て、なぜ違うのか、違うことで企業の成果がよくなっているのか、そうじゃないのかとかを考えます。

●先端事例と逸脱事例

私の研究の場合は、一つの業界あるいは一つの地域の中での経営のやり方の変化や企業ごとの様々な違いなどを見ていくことが多いです。
みんながまだ当然だと思っていることに対して違う事例を出して、「…ということは今までのビジネスのやり方ではなくて他の形も考えることができるんじゃないですか」という(可能性を示唆する)。

こういうのを先端事例、逸脱事例と言うんですけど(笑)、僕はどっちかというと逸脱事例好きかもしれないですね。
新しい企業さんを紹介して、これが最先端です、という主張をする(研究者もいる)。僕ももちろん、未来とつながってない事例にはあんまり関心がないんですけれども、企業さんそれぞれが置かれている状況が違うので、みんなが同じことをしなさい、という話にはならないですよね。
だから、どういうやり方ができるのかということについても、もうちょっと多様性をもって考えていかなきゃいけないんじゃないか、みたいな話がしたいな、と思ってますね。
かつては一つの産地の、いろんな企業の変遷を見たり、タイプ分けしたりするような研究をしていたんですけど、今は逸脱事例探しみたいなことをしていて、その結果として下川織物さんだけの論文とか、(宝島染工の代表の)大籠千春さんだけの論文ができました。

――もちろん産地全体を見ないと、逸脱がどの程度であるのかということも測りにくいと思うのですけど、全体のことよりも個別の事例の面白さについて研究なさっているということなんですね。

●人の縁で筑後産地へ

――播州《※1》やイタリアを主なフィールドとして研究してこられて、そこから筑後地域に関心を持つきっかけは何だったのでしょうか?

そうですね、僕は1999年から福岡に住んでるんですね。
繊維産業の研究はそれ以前からずっとやってました。もちろん(福岡が)久留米絣の産地であることは知ってたんですけど、研究しようとは全然思ってなかったんです。
というのは僕、元々播州の研究をしていて。その後尾州《※2》の研究をしました。日本の産地の展望を求めてイタリアの毛織物産地の調査を始めたんですが、比較のために同じ毛織物産地の尾州(を調査するの)がいいだろうなということで。
イタリアでは高級ブランド向けの生地を作っているビエッラなどの産地を見ました。そういううまくいってるところや成長してるところ、大きいところを調べようとすると、久留米(絣産地)って全然(研究対象に)入ってこないんですよ。

※1 兵庫県南部の地域。先染め綿織物の生産地。
※2 愛知県西部から岐阜県の一部の地域。主に毛織物の生産地。

先ほど経済学と経営学の違いの話をしましたが、全然関係ない訳でもなくて、やっぱりある程度アタリをつけるときに統計データというのは必要なところがあるんですよね。
歴史的な研究も含めて、大体皆さんどういう風にやるかというと、まず統計。それぞれの産地や都道府県のレベルで生産などの動きを見るわけですね。例えば、ランキングを作って、大きい産地がどこかを見て、さらにその成長を時系列で見て、大きな産地や成長している産地に入っていく、という調査の仕方をする。

歴史研究の分野では、国士舘大学の阿部武司先生が、戦間期(第一次大戦から日中戦争まで)の日本の産地のランキングを作られてるんです《※3》。その時期に久留米絣産地の順位が落ちていくんですよ。
(その理由は)簡単に言うと近代化に対応できなかったということ。広幅の生地を生産しておらず、洋服にしにくい和服(地)であることと、もう一つは織りの機械化と工場化が進まなかったこと。
戦間期に、播州や大阪の泉南は、(久留米絣産地とは逆に)織機を広幅にして機械化・工場化をして輸出もする、という形で伸びていくんです。それがこの時期の日本の綿織物業の代表的な成長パターンの一つなんですね。
もちろん国内向けで大きくなっていく産地もあるんですけど。久留米絣は、(生産)量で見ると播州や泉南のような産地には遠く及びませんでした。
そういう知識が頭にあったので、まず(研究の)選択肢に入ってこなくて。

※3 阿部武司『日本における産地綿織物業の展開』(東京大学出版会、1989)

その後、展示会の調査も始めました。輸出するにしろ輸入品が入ってくるにしろ、日本の商品は当然、他の国の商品と競争してる訳ですよね。
じゃあ、何が日本の産地の良さなのかな、ということを考えた時に、一つは品質不良が少ない、納期を合わせるといった、〈総合的な管理の丁寧さ、正確性〉みたいなところ。ただ、他に何かないかな、と思ってたんですよね。
その時に、日本の伝統工芸について、気になってはいたんですね。ただ、日本の繊維産業の未来にとって重要な伝統工芸って何?ということについては、誰に聞いてもはっきりした答えは返ってこなくて、もやもやしていました。

筑後に足を運ぶきっかけとなったのは、大籠誠さんとの出会いです。彼とは、dデザイントラベル山口号発行イベントでお目にかかりました。そのとき「妻が染色をしています」という話を聞いていて、それが宝島染工の代表、大籠千春さんのことでした。
でも、その一言をお聞きしたくらいで工房を訪問することにはなりませんね。その後D&DEPARTMENT福岡店ができて、そこでのトークイベントで、「九州ちくご元気計画」の人たちがスピーカーをされ、その時に僕は(ブンボ株式会社の)江副直樹さんたちとお会いしました。以後、江副さんを含む何人かとFacebookで「友達」になり、筑後の情報が少し入ってくるようになりますが、その情報は久留米絣がメインな訳ではありませんでした。
その後もまだ研究はしなかったんですけど、あるとき、宝島染工さんが素材市をやるという話を聞いたので、行ってみたんですよ。
だから実は宝島染工さんから筑後の工房訪問をスタートしたんです、僕。それもふらっと。

――それは意外な…。

で、(素材市に)行って、大籠千春さんとお目にかかって、少しお話しできました。するとそこに別件で下川強臓さんが来ていて、帰りに下川さんが車で駅までりましょうかと言ってくださったんです。
僕は最寄り駅から歩いて来ていたので、すぐ近いことは知ってたんですけど、じゃあせっかくだから乗せてください、みたいな感じで。それで、車の中で下川さんとちょっとお話しして。でも、本当にすぐ駅に着いたので、下川さんがどんな方なのかはまだよくわかりませんでした。
そんな感じのスタートなんですよ。筑後との接触は。

――〈人の縁〉なんですね。

お二人とはすぐにFacebookでは「友達」になったので、筑後産地全体というよりも下川さんと宝島染工さんの情報がSNSで継続的に僕のところに入るようになりました。でも、いままでの研究対象と違いすぎて、すぐに論文にはならないな、と思っていたんです。
ただ、大籠さんは、「大田さんとは長くお付き合いするような気がします」といったことを、訪問直後のメッセージのやりとりでおっしゃっていました。当時は全然イメージできませんでしたが、本当にそうなりましたね。

――そうなんですね。
そういう状況から、これは論文にできるぞ、という転換点があったのでしょうか?それとも情報の蓄積が論文につながったんですか?

そうですね…。
播州など(の研究を)やってると、久留米絣の価値ってわかりにくいんですよ、どうしても近代工業的な感覚で見ちゃうから。
設備も、ベルト式の織機が動いてるのは初めて見ましたし。白黒写真では見たことあるけど、みたいなね。

――本当に歴史図鑑みたいですもんね。

「柔らかく織ってます」「手間がかかってます」と言われても、でもそれって高コストだし、売れてるのかどうかもよくわからないし。それを論文としてどう扱えるかな、という感じではあったんですよ。

●宝島染工のサステナビリティ

僕らって自分の研究が他の研究者や他の経営学の議論とどう差別化できるか、って考えて事例を選ぶんですよね。訪問したところをただ紹介するのではなくて、この事例を紹介することで、今までと違う議論ができるとすれば何だろうか、と考えるわけなんです。

産地の染色業者さんとの関連づけはしにくかったんですけど、サステナビリティの問題を考えた時に、宝島染工さんは今までとは違った染色業で、研究対象として魅力的だということに気がつきました。
僕の知る限り、近代的な染色業って〈お客さんの言われた通りに染める〉のが基本的な仕事なんですよね。新色を作って提案しても、お客さんの方が色柄を決めているので別に要らない、ということが多い。
「私たちの指定する色を定められた日に納めて、堅牢度とかちゃんとしてね」という(オーダーに応える)のが染色の人たちに期待される役割として中心的なものなんですよ。

――正確に下請け的な仕事をするということですよね。

もちろんそれを実現すること自体、技術的に高度なことではあるんですけど、かといって自分たちで付加価値を高められるかというとその手段が限られてるな、というのが、僕が播州などの産地を研究していて思ったことです。

でも、宝島染工さんは今まで僕の見てきた染色業とちょっと違うな、と。大籠さん自身も今までとは違う、環境負荷を小さくしつつ、収益性を高めて、働く人が幸せになれるような染色業を作りたい、という強い思いを持ってらっしゃったんですよね。
じゃあ大籠さんが何をやっていて、何が生まれているのかを考えた時に、「サステナブル・アントレプレナーシップ」という観点から見ることができるなと《※4》。〈持続可能性を追求する起業家〉ということです。
サステナビリティの問題を考える時には、〈環境の問題〉と〈経済の問題〉と〈社会の問題〉、この三つをうまく解決しなきゃいけないんです。
従来だと、経済ベースで成り立たないことは基本的にしない、という方針をとる企業が多いですけど、サステナビリティの問題を考えるならばそこに折り合いをつけるか、場合によってはもっと創造的な形で三つの問題を解決していく必要があります。
それは非常にクリエイティブなチャレンジで、今までの企業でできないんだったら新しい企業を立ち上げてやる、そういう起業家の独自の役割に注目している議論が「サステナブル・アントレプレナーシップ」です。

※4 「起業家による持続可能なクラフトの創造 - 天然染色工房「宝島染工」の事例」『経営研究 = The business review』2019 69-3、33-52頁

――持続可能性に着目した新しいビジネスモデルとして、宝島染工をご覧になったってことなんですね。

●下川織物の来訪型マーケティング

下川さんの場合は、お客さんとの関係を多様化するという中小企業の課題について検討する論文《※5》を書きました。
中小企業が特定の企業さんに依存してしまうと、どうしても(立場が)弱くなってしまう。その場合、特定企業への依存を小さくして他の企業との関係を作ったり強めたりすることで自分の境遇を改善できます。
その時に、今までのマーケティングの考え方では、お客さんにどうやってアプローチするのか(を考える)。お客さんに個別にアプローチする形もあるし、重要なお客さんがたくさんいるところで展示会を開いて、そこに出展者が出向いてお客さんの来場を待つという形もある。
この二つが従来の基本的なやり方だと思うんですけど、下川さんの場合はそうじゃなくて(生産現場に)来てもらう。そこが新しいと思って。
そこに着目してるので、実は久留米絣(の織元であること)は研究テーマとほとんど関係ないんですね。

※5 「来訪型マーケティングによるクラフト的中小企業の「自立化」 : 久留米絣織元「下川織物」の事例 」『福岡大學商學論叢』2019 63(3)、301-335頁

――企業の経営方針というか、集客の方針の話なんですね。

依存度を下げる(ためにどうするか)というのは中小企業論で昔からある議論なんですよね。でも、その手段として〈来てもらう〉というのは今までとは違うやり方として面白いな、と。
「オープンファクトリー《※6》」などのイベントもありますけども、そういう来てもらう形のマーケティングが、実は個別企業でも、グループや特定のエリアでも行われている。それは、一つの新しいマーケティングのやり方になるし、わざわざ留守にしなくても良いなど、産地から売りに出ていくのとは違ったメリットがある。
もちろんそれには特有の努力が必要ではありますが。

※6 顧客や一般の見学者に生産現場を公開するイベント。

●経営学とクラフト その1

だから、当初の宝島染工さんや下川織物さんの研究は、伝統工芸とかクラフトを強く意識したものではありませんでした。

シャトル織機のような古い技術を駆使する企業さんの生地が海外の高級ブランドで高く評価されているという話は 以前から聞いていました。それとは別に、日本の伝統的な染織に対する国際的な関心があることもわかってきまし た。こういったことをどう考えたらいいのかと思っていたら、組織論の学会でクラフトの研究が本格化していることを知ったんです。
それで、私も、伝統的な染織工房をより積極的に訪問したり、クラフトに関する本や論文を読んだりするようになりました。

その後、私としては、個別企業ではなくて、地域での複数の企業による取り組みとして議論できないかな、と思うようになりました。
それは筑後の様子や、デザインウィーク京都や山梨産地の状況を見ていると、もう個別企業だけじゃなくてローカルな支援のあり方というのが変わってきたんだろうな、という認識があってですね。3年前に申請した科学研究費で「持続可能な社会づくりに向けたクラフトの企業家活動およびローカルな企業間協働」をテーマとして設定しました。

――組織論の分野でのクラフトへの関心というのは近年の動きなんですか?

とりあえずここ10年ぐらいはそういう研究が増えてきてますね。
例えば人類学などでリチャード・セネット『クラフツマン』《※7》や、ティム・インゴルド『メイキング』《※8》などの(著作が)が出てきていて、そういう他分野の学問からの影響が組織論の方に(入ってきている)。

※6 リチャード・セネット『クラフツマン: 作ることは考えることである』 (訳:高橋 勇夫、筑摩書房、2016)
※7 ティム・インゴルド『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』(訳:金子 遊・水野 友美子・小林 耕二、左右社、2017)

――どちらも人の動きについての学問だから、関連領域になりますよね。

クラフトについては、分業して、合理性が重視された結果、人間が疎外されるような、ただただ賃金のために労働に従事するようなつまらない仕事とは違った、より人間的で創造的な活動という部分を強調するものもあります。
例えばリチャード・セネットやティム・インゴルドは、〈手を使うこと〉の意味に注目します。人間は頭で考えたとおりに手を動かして意図した結果を得ている訳じゃなくて、実は意識を越えた手の動きから新しい発見をしているんだ、ということが指摘されます。
つまり、手を動かしてものを作ることを、学習や人の成長と絡めて理解するような議論があるんですよね。

ーー身体論的な観点ですね。

そうですね。
この間僕が発表した国際学会のでも「Craft in Modern Society」というテーマのグループがあって、そこにはクラフトビールの研究者、木製の船造りの研究をしてる人、メイカーズムーブメント、つまり3Dプリンタを操る人々などが現代のクラフツマンである、というようなことを言う人たちもいました。欧米の研究は、近代の賃金労働に代わる仕事のあり方としてクラフトに注目しているので、その条件を満たせば伝統技術を用いないものやサービス業もクラフトと見なされます。

その学会では、伝統的なクラフトが再評価されてサステナブルだという議論がされているけど、でも伝統工芸って必ずしも全ての面でサステナブルじゃないですよね、という話をしたんですね。
それは例えば、伝統工芸の職場における男女の関係であったりとか、厳しい徒弟制であったりとか。あとは経済的なところで言うと、伝統工芸自体も発展ではなく縮小している部分もたくさんあるので。
そういう風に考えた時にノスタルジックなクラフト礼賛らいさん論みたいなものはちょっと一面的だろう、ということで宝島染工さんの事例を紹介する、というのが僕の発表だったんですね。

●伝統工芸におけるアップデートの可能性

その発表のときにも言ったんですけど、宝島染工さんと伝統的なクラフトの方々は、全然違うものなので。
じゃあ伝統工芸の良さを生かしながらアップデートすることができるのかどうか、というのは、まだしっくりくる事例がないので僕も何とも言えません。それはこれからの研究の課題にしたいと思っています。
今の若い方々がどういう風に伝統的なクラフトを、その良さを生かしながらアップデートできるのか、というところを自分なりに考えていきたいなという関心から、今回、(森山絣工房の)森山浩一さんや(藍華・田中絣工房の)田中稔大さんを調査させてもらったんです。

ーー経営の面から見たアップデートの可能性といった点でしょうか。

そうですね。
それは宝島染工さんの話で言うと、例えば天然染色というのは化学染料とは全然仕上がりが違う訳ですよね。色のぶれもあるし色落ちもするし、値段も高いし。だから、天然染色を実際に洋装の世界に取り込んでいってもらうためには、お客さんとの問題を解決することが必要になります。
そういうところの合意をどうやって形成していったのか、品質基準をどうしたのか、というのを、色々聞いていったりしているんです。
大籠さんの場合はOEM《※9》のビジネスがあるから(顧客との合意形成が必要になる)、という部分があるんですけれども、これは伝統的な藍染めをされている方々も、用途展開を考える時に直面する可能性が高い問題なので、調査では、そこの話を宝島染工さんの調査と同じ形で聞いていくことになるだろうな、と思います。

※9 Original Equipment Manufacturer。他社ブランドの製品を製造すること。

――私が見ている範囲では、今までの伝統工芸の文脈で仕事をしている方たちは、その問題に対しては今の時点では解決方法を持っていないように見えるんですけれども。

まあ、まずは話してみるしかないと思うんですけどね。
あとは魅力的なものを作れるかどうかとか。やっぱり「これっていいよね」、というところを一緒に作っていかないと話にはならないと思うので。
そこは宝島染工の例で言うと、まず自分のやってることを受け入れてくれそうなお客さんをちゃんと選んで、そのお客さんに対して効果的なプレゼンをしていく、のが基本なんですよね。
だから(伝統的なクラフトの人も)そこを踏まえた上で細々した問題点を一緒に解決していきましょう、というところに行かないといけないはずなので。
まずはやっぱり、お互いが関心を持つという関係を作っていくために、何をしないといけないのか、ということかなと思いますね。

――そういった課題研究に先生は取り組んでいくご予定ですか?

僕の場合は事例を見てその意味を考えることをしてきたので、どうしても後知恵的な部分は出てくると思うんですけど、ただ、宝島染工さんとか他の事例は頭に入っているので、個別に課題解決できるかどうかは分からないですけど、議論や情報提供をすることはできると思います。それで自分が知ってることがお役に立てば嬉しいです。

――研究者として産地と関わることで産地にプラスの影響になれれば、ということですよね。

僕はいい意味でも悪い意味でも〈金の匂い〉がしないので(笑)、基本的に理屈で喋るので。時には利害がない人が理屈で考えた事を話すというのが大事なことがあるようです。

――確かにそれはクラフトの人たちにとっても、受け入れやすいと思います。
私自身が先生のご研究の全体が見えていなかったので、今のお話である程度クリアになりました。

●〈よそ者〉という存在の重要性

このほかに筑後(産地)に関心を持った理由としては、(地域の中に)うなぎの寝床の白水高広さんみたいに〈よそ者〉の方の役割みたいなものが結構あることですね。古いものに新しい価値を与えたりとか、新しい人間関係を作ったりとか。

よそ者がなぜ大事だと思っているのかというと、古き悪しき業界慣行みたいなのがあるんですよね。それは産地の研究《※10》をしてた時に本当につくづく感じてたことで、それってどうやって変わるんだろう、というのもずっと思っていて。
これには、「発言と離脱」という議論もあって、ハーシュマンという研究者が、ある組織が腐敗した時に、メンバーが発言することによって改善させるのか、それともその組織から出ていっちゃうのか、という選択の問題について考察しています。これを業界に当てはめると、業界が病んでいた場合、それを改革するのか、それとも新天地を求めるのか、廃業するのか、などの選択が行われます。

いろんなやり方があると思うんですけど、既存の事業者の多くが「離脱」していくなかで、その地域に縁もゆかりもない人が、ふらっとやってきて、直接的な「発言」をするのでもなく、これまでと全然違うことをするわけですよね。(株式会社糸編の)宮浦晋哉さんや各地の地域おこし協力隊の方々の多くが、そういう存在だと言えるように思います。
そうした人々の活動から新しい人間関係が生まれて、何かが変わっていく。それはもちろん失敗することもあれば、広がっていくこともあるんですよね。こういう話をもっとしたいなと思っていて。

※9 大田康博『繊維産業の盛衰と産地中小企業―播州先染織物業における競争・協調―』(日本経済評論社、2007)

これは繊維産業と全く関係ないけど、特に東日本大震災以降、僕の故郷の周防大島町(山口県)に東日本から移住される方が増えて。
例えば、あるバンドのギタリストだった人が僕の島にやってきて農業を始めたり、ラジオ番組を制作されていた方が来られて、自然農をされたいというので、一時期ですけど自分の実家の畑をお貸ししたりとか、そんなことがあったんですよ。
「おまえは農家になるな」と言われて育てられた僕としては、こういった方々の暮らしぶりからは色々考えさせられるんです。
だからよそ者というのは前から体験的なものとしても関心があって、業界の古き悪しき慣行みたいなものを変える時に、よそ者の人たちって何か役割を果たせないだろうか、よそ者とそうでない人はどう共存していけるだろうか、というのが前々から気になっていました。
そういう関心から見たときにも、筑後は面白いですね。

――よそ者って既得権益がない人ってことですもんね。

そうですね。
ただ僕はよそ者という言葉を使う時に意識してるのは、地元の人かどうかというのが大事じゃないと思ってるんですよ。
先ほどはその地域に縁もゆかりもない人、って分かりやすい言い方をしてたんですけど、僕の場合は組織論とか経営学から〈よそ者〉というのを議論してるので。

簡単に言うと、既存の慣行などに染まりきっていない人のことを、〈よそ者〉、学術用語としては「制度的外部者」という言い方をしてるんです。
その地域に縁のなかった人でも染まってる人がいるはずだし、地元の人でも染まってない人がいるはずなんですよ。
だから地元の人かどうかという区分はしたくないし、しない方がいいとは思ってますね。あくまで社会関係とか価値観とかそういうところでの異質性を捉えています。

――地域の固定の観念から自由な人、ということが大事なところなんですね。なるほど。

●〈不確実性〉の中で

――論文を拝読して、逸脱事例に当たるような突出した個人がいない場合には、新しいことは起こり得ないのだろうか、ということを私自身は疑問に思っていたんですが。

大籠さんや下川さんもそうだと思うんですけど、全部自分でやってる訳じゃないんですよね。いろんな人から刺激を受けてビジネスが生まれてきてるので。
だから、ある程度は場所を作ること、空間とか機会とか、そういうものを作ることで、それぞれの人に新しい選択肢が見えてくる可能性がある。でも、それを選択したところでどうなるかはやってみるしかないという部分がありますね。
そこによそ者さんがいれば選択肢が広がり、よそ者さんが他の人と連携することで成功しやすくなるかもしれません。

これは、じゃんけんみたいに選択肢が与えられている状況とは違う、〈不確実性〉といわれる状況で、どのような姿勢や行動や社会関係が求められるのかが問われているということです。当たって砕けろとか、ただ模倣するとか、わからないから何もしないとか、そういう判断にならないためにはどうすれば良いのかを考える必要があります。
繊維産業という限られた事例が対象ではありますけど、不確実な状況での個人や組織の姿勢や行動のあり方というのは、僕にとって重要な研究課題の一つです。

――そこで「制度的な外部者」が力を発揮できるということでしょうか?

できる時もあるし、そうじゃないこともある。一つの大事な存在ではありますよね。(元々いる人たちには)ないものを持っているはずなので。
例えば何かをするために、誰をどう集めるか、何をするのか、どうやって話し合うか、ということが大事になってくるでしょうね。

●経営学とクラフト その2

――クラフトが世界的に注目されてきていることについては先程のお話にもありましたが、日本でも同じような形でクラフトに関する研究って進められつつある状況なんでしょうか。

ありますが、でも多分少ないと思いますね。
海外でも、色々な調査結果や理論が出てくるようになり始めたところで、何がどこまでわかっているのかがはっきりしていない人たちもバラバラに話していてちゃんとまとまってない。だから、「Organization Studies」 のような国際学術雑誌で、クラフトの特集を組んで投稿を募集する動きが活発化しています。

――人類学におけるクラフトの議論は、現行の産地とはあまりリンクしてない印象を持っているのですが。伝統文化の文脈の中で、現在まで〈残っているもの〉として語られているような印象があって。
先生がおっしゃるように経営学の観点からクラフトが見直されていくと、クラフトの概念そのものが揺さぶられていくというか、更新されるきっかけになりそうですね。

さっき「ノスタルジックなクラフト論の限界」についてお話ししましたが、クラフトは縮小してるんですよね。そこをやっぱり僕はちゃんと見ないといけないな、と思ってて。

――経済の面で。

近代化をしていく中で、クラフトはずっと縮小してきました。
阿部先生の戦間期の(繊維産地の)ご研究で示されたように、久留米絣産地は近代化が遅れたわけですね。
そして、染色も、全面的には近代化されなかった。在来技術が近代技術にない価値を持ちうることは確かですけど、長らく縮小してきたのには理由がある、ということもちゃんと見た上でその可能性を議論しないと。
クラフトの良さだけを強調しても、値段の高さや徒弟制みたいな問題もあるし、色落ちするとか、そういうこともあるし。
そういうところを、トータルで見ていかないと、ただ歴史が繰り返されるだけになってしまうので。

――それはあんまり意味がないですよね。

それがもし、今までの人たちはデメリットだと思っていたことが実はそうじゃないんです、という話になるんであれば、それはそれでいいと思うんですよね。それはもう価値の転換なので。
そういう話も全然しないで、ただ昔のいいところだけ見て評価するんだったら、それは別に今始まったことじゃないんですよ、前からよかったという話であって。
今には今の問題があるのでそれを解決することを考えていかないといけない。

――すごく難しいですよね。コロナ禍の状況もあり、社会の動き方とか価値観の転換もありながら、その中でクラフトをどう捉え直して位置づけていくのかということですよね。

●海外との交流がもたらすもの

そういう意味では、海外の人たちには(日本のクラフトへの)関心がすごくあるので、さっきの〈よそ者〉とも関係があるんですけど、海外の方々との交流というのは、特に筑後は大事にするべきだろうなと思いますね。

――海外の人たちの関心の中心的な部分はどこにあるんですか?

うーん、どうでしょうね。
多分協力隊の皆さんの方がよくご存じだと思うんですけど、実際に受け入れてらっしゃるので。

[綿貫]知らないものへの興味というか、エキゾチシズムの人もたくさんいて。
でもそれは逆に日本から海外を見る場合でも同じだと思います。
普通の行動、感情だと思うし、じゃそれ以外の部分を冷静に考えるべきなのかな、と思いますね。

――実際に産地に来られた方の興味の中心って、個人的なことに由来していたり、違う伝統文化に対するものだったりが多いかな、という印象は確かにあります。先生のおっしゃるような、(日本のクラフトを)新しい価値観の中で捉え直す、というようなことはまだ一般的な感覚ではないように思います。

そういう人を筑後の側が選んで、コラボしていくのも必要なのかもしれないですね。
伝統工芸だけではなくて、ベルト織機とか、小幅の旧式織機も含めて、どうやってその価値をアップデートするのかを探るためには、国内だけじゃなくて海外も含めたよそ者さん達との意外な出会いにも期待しながら、必要に応じて関わる人を戦略的に選んでいくことも大切だと思いますね。

――そういう外部の刺激も含めて産地を考えていかないといけないってことですよね。

筑後の(特徴の)一つとして、(これまでのメンバーも含めて)地域おこし協力隊の色んな方がいらっしゃって、その上でKibiruOrigeみたいなインフラがある。こういう産地ってそんなにないんですよ。
しかも染織の色んな技術がワンセットであって、一通り学べるわけですね。
かなり条件としてはいい。いろんな人が関心を持てる産地で、そういう人を受け入れられる産地なんですよ。

コロナ禍でもオンラインでイベントができるわけだし。筑後なら色んなことができると思ってます。

●テキスタイル産地ネットワークとは

――先生が主催されているテキスタイル産地ネットワークには、先程からのお話のような逸脱事例や先端事例に当たるような人、よそ者的な人がたくさん参加されていると感じたんですが、そういう状況を目指してスタートされたんですか?

僕はもともと繊維産地の研究を、播州、尾州とやって、そこから離れて海外の研究、展示会の研究をしました。
産地展じゃない展示会は、技術や地域という括りじゃなくて、同じターゲットの人たちや競合しない人たち、価値観が似てるとか、やる気があるとか、そういうところで揃ってる人たちがいろんな国や地域から集まっています。
その人たちと研究を通して接点を持って、その後もFacebookなどで情報が更新されるようになりました。そしてその情報から、別々の地域の方同士で、(扱っている)素材も違うけど仲良くなれそう、お互いに関心を持てることがありそうな人たちがいるな、ということをだんだん思うようになったという背景が一つ。
二つ目は、国際学会って休憩時間が長くて交流させるのがすごく上手なんですよ。それを見てて、このやり方はビジネスマンもやったらいいって思うようになったこと。
三つ目は、今までの業界団体がうまくいかない部分があるな、ということを考えていました。同じ業種や地域で集まる組合は、モチベーションやお客さんが全然違う人が入っていることが多いです。
だとすると、そうじゃないまとまりを作りたい時には、組合的な枠組みじゃない方がいいですよね。地域や技術のような形式的な基準で作るグループではなくて、もっとみんなが仲間として集えるようなコミュニティを産地を越えて作れないかな、って思ったんです。

――テキスタイルというキーワードで。

「テキスタイル産地ネットワーク」という名前は、第1回の最後に付けたんです。
作ってる人たちだけで集まるとマンネリ化しちゃうので、むしろそういうことに関心がある人だったら誰でも良いと思っています。
素材も地域も関係ないし、うまくいってる人もいってない人もどっちもあっていい。

繊維以外の分野の方々との交流も必要なのはわかっているんですが、僕が責任を持って企画・運営できる範囲ということで、テキスタイルに限定してきました。最初は、一人で司会をしていましたし、まずは川上・川下も含め、テキスタイル関係者のコミュニティを豊かにする必要があると考えていましたから。
「とりあえず情報収集したい」という姿勢の方ではなく、何か行動している方に参加して頂きたい。自分たちが行動しようとしてうまくいかない部分があったりとか、迷ったりしててもいいんですよ。
(テキスタイル産地の)将来のことを考えたいので、若い人にもぜひ参加していただきたい。もちろん年長者を排除するつもりはないんですけど。

だんだん規模が大きくなってくると、私なんてまだ大きなことは何もしてないんですけど、みたいな人ことを言われる方がいらっしゃるんですけど、そこがポイントではないですね。
むしろ考えてらっしゃることが何か、何をされようとしてるのか、お人柄であったりとか、どういう姿勢で他の方とお付き合いするかという(ことが大事)。
今開発中の商品ついて他の方からのコメントがほしい、みたいな話題は公式には扱いません。それはお金を払ってどこかのプロの方に相談すべきだと思うからです。
テキスタイル産地ネットワークはそうじゃなくて、業界の仕組みとか、いろんなネットワークとかを組み替えていこうとするような、そういう取り組みをされてる方々の〈今〉を共有して仲間になれる。そういう場ですね。

――すごくチャレンジングな、情報共有と交流のための取組みなんですね。

その先には、できれば何か一緒にできることがあればもちろんそれに越したことはないですね。

●テキスタイル業界における〈持続可能性〉を拡張するために

――最後に個人的な疑問についてお聞きしてもいいですか。
テキスタイル産地ネットワーク以外でも感じていることなんですが、繊維業界にはサステナビリティという言葉に〈環境的な持続可能性〉だけを見ている人が多いのでは、という印象がありまして。
先生はさっきジェンダーの問題に触れられましたけれども、そういうことまでみんな見てないんじゃないのかな、ということがとても気になるんです。
私は前職が男女共同参画センターだったこともあって、やっぱりジェンダーの問題などに関心があって。
今後テキスタイル業界が持続可能性をもっと広い枠組みで捉えていく方向に進むと先生自身はお考えなのでしょうか。

2021年のテキスタイル産地ネットワークでもサステナビリティの問題を取り上げるんですけど、環境(の問題)としか思っていないのは、やっぱり情報発信の方法が悪いんであって、そこは認識のある人が変えていくべきですね。
海外の人たちはサステナビリティは環境問題だけじゃないことを分かっているので、国際交流していくことも大事だと思います。必要に応じて〈外圧〉を使えばいい。

――先生がおっしゃるように、分かっている人がいろんな形でやっていくことが必要だと。

じゃないかと思いますね。
基本的な考え方を変えていく話なので、そんなに簡単には変わらないかもしれないですけど、大きな流れを作っていくためには手数を増やすのも大切です。そういう意味でも、人材豊富な筑後は本当に恵まれたところだと思います。

あとはそうですね、しっかり情報を記録することは大事だろうな、と思っていて。下川さんの論文を書くときに久留米絣の歴史に関する本を探したんですけど、僕の探し方が悪かったのか、情報があんまりなかったんです。
有名な産地なのに、社会科学的な研究も、福岡の自治体史も、昔のことはある程度調べられていますが、特に戦後の具体的な情報が少ない。
何十年単位の歴史を語れる人がお元気なうちに、色んなお話をうかがったり、モノ、動画、写真、音声などを残したりしておくことは大切だと思います。
播州に関する私の本も、当時の「生き字引」の方々からお話を聞くことが できたり、詳細な産地調査報告書や重要人物による座談会記録などが残されたりしていたからこそまとめることができました。
そうした記録があれば、研究以外に活かすこともできます。それはすごく大事なことなので、ぜひ冨永さんに重責を。

――そこは私自身の主な関心領域ですので、頑張りたいと思います。重責は無理ですけど、少しだけでも(笑)。

お力になれることあったら。

――はい、ありがとうございます。

2021年8月19日 広川町「Orige」にて
聞き手・文責:冨永絵美
Photo by Aki Watanuki

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