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あの頃「許された子どもたち」だったキミへ。

差別やいじめで起こる悲しい出来事に触れる度に私は小さく絶望する。

きっと計り知れない苦しみを感じていたその子を想って。
大昔クラスメイトに心ない言葉を受けて傷付いた私を思い出して。
そんな私が母親になって、大事に育ててきた子供たちが加害者にも被害者にもなり得るこの世界に恐怖を感じて。

6月1日から公開になった出演作『許された子どもたち』

色々な思いがあって、でも纏まりや着地点はないのだけど、何かしら伝えたくて文章にしました。

差別はなくならない。
最近も海を越えて悲しい事件がありました。
どうして差別は起こるのか?
無意識だとしても、私の中にも、あの人の中にも「自分」と「自分以外」の境界線がある。

第一に、他者(と思われるもの)と自分を分けて考えざるを得ない世の中がある。
個人的にコロナの影響でそれはより濃くなった気がします。

他国の戦争に胸は痛めるけど次の瞬間にはSNSでトレンドを追っていたりするし、誰かの栄光や成功体験は「この人にはそういう資質があったからだ、私と違う」と毒づく自分がいたり。

分けて考えてしまうからこそ、そこには比較というものが生じ、優劣というものが発生して、「差別」が生まれる。
そんなものなんて本当はないのに。
みんな根っこは一緒なはずなのに。

子どもたちの輝きやパワーは強力です。
恐れや挫折などなく、何者にも染まらない純粋さがあるから。
だからこそそれが「誰かが右なら右」や「差別」という概念をもって行動してしまうと、それも凄まじいパワーとなり、誰かや何かに影響を及ぼす。
光と闇ですね。帝国軍と反乱軍。スターウォーズすっごく好きなのですが。

話が脱線しました。最初から取り留めないのですが。

言霊とはよく言ったもので、この作品でも時に刃のような鋭利な言葉が見えない深い傷を抉るように刻んでいく。
少し前に某恋愛バラエティ(?)で衝撃的な事件が起こってしまいましたが、それくらい言葉には力がある。良くも悪くも。
SNSが生活の一部になっている今、ネットに乗った鋭利な言葉をよく目にします。
それは直接投げかける言葉でなくても同等の効果があるんです。

言葉を投げつけただけで物理的に人は死にません。
ただ、巡り巡って思いもよらない形で人の命を奪うことはある。

これからの時代、働き方や生き方を改めて考え直す機会が多かったと思いますが、より自分を見つめ直すこと、そしてそれをきちんと言葉で表現していくことが重要なフェーズにきているのではないかな、と感じます。

だからどうか自分から発する言葉を大切に。
それは小さいながら波動を持ち、何かに影響を与えているのだから。

『許された子どもたち』は観る前のあなたの予想や期待を裏切るかもしれません。消化不良やモヤモヤを残すかもしれません。
だけどその違和感や気持ち悪さをどうか忘れないでください。
それくらいこの作品はある意味劇薬なのだと出演者ながらに思うのです。

この社会に「許された子どもたち」は沢山いて、それを「許した」人たちや、そのまま大人になって見えない傷を抱えて生きている人も沢山いる。

もう一度言うけど差別はなくならない。
でもどうにかしたいと思うなら考えなきゃいけない。声を上げなきゃいけない。表現をやめちゃいけない。
そこに例え正解がなくても。

最後に、この作品を世に出さなければならないと、長い年月をかけて奮闘してくださった内藤監督はじめ、この映画に関わった全ての方、観てくださる全ての皆さまに敬意を込めて。

乱文失礼いたしました。
本当の意味で世界が平等で一つになるその日のために。

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