運(めぐ)る命の輝きと共に

 眠れぬ夜に綴ります。

 見切り発車とも言うべき、公式発表前の情報漏洩。テレ朝は何度もこのパターンを繰り返し、民たちを翻弄しています。公式が鬼のミスリードをするのはいつものことですが、今回のことは公式は深刻に捉えて頂きたいです。

 なぜ、おっさんずラブがここまで愛される作品になったか。それはやはり牧の存在が大きいです。牧が春田を想う切ない気持ちに魂を揺さぶられた人たちが、魂を削ってまで演じて下さった林さんへの敬愛を込めて、その恋のゆくえを見守っています。牧と春田の幸せを心から願っています。

 劇場版では春田からの視点になり、一見分かりにくいと感じる方もいるようですが、牧の春田への愛が溢れていました。ただ、視線の先が結ばれていなかっただけです。それもラストでは固く結んで、二人の未来へとまなざしのゆくえを繋げたと自分は思っています。

 今、不安と期待で押し潰されそうな民が多く存在します。どうか二人の未来を見せて下さい。二人の愛が深まったその先を見せて下さい。もし、どちらかが欠けるようなことがあれば、劇場版を含め連ドラで育んで来たものは全て〝無〟となります。それならば二人は運命を共にして下さい。それだけはどうかお願いします。

 ここでも散々書いていますが、劇場版の中で一番好きなシーンは春田の一世一代の告白のシーンです。初見からずっとそうです。今も変わりません。特に春田の、

 『出会った頃のこと忘れても……俺のこと、誰だか分かんなくなっても……それでも……俺は、牧じゃなきゃ嫌だ』

 というセリフが刺さり過ぎて、何回も何回も泣いてしまいます。と言うのもこの言葉には記憶というものが大きく関わっているからです。Rivivalの中でも記憶がキーワードとして出て来ます。

 記憶も存在も手の届かないところへ

 記憶の中でそっと笑って


 この歌詞の中では記憶が彼の心の奥底に沈潜し、いつもは遠く手の届かないところへ置いていても、それは消えることなく大切に仕舞われていて、時々思い出すことで輝きを放つことが出来ます。

 ですが、春田の告白では記憶自体を喪くすという精神の死を意味しています。精神を宿した肉体が滅びてもではなく、肉体に宿した精神が滅びてもなんですよね。牧を忘れてしまうことは死よりも辛い。でも、自分はたとえ記憶を喪くしても、必ず牧を見つけるという意味なんだと思います。

 自分の拙作、運(めぐ)る命の中で春田と牧の前世について触れています。そこで牧の独白として、たとえ死が二人を別つとも、今度は自分が春田を見つける。何度でも何度でも。という言い回しを使っています。同じく拙作、まなざしのゆくえと併せて読んで頂けると、自分がどれだけこのシーンに心酔しているかわかって頂けるかと思います。

 仏教の言葉で一蓮托生という言葉があります。今では悪い意味合いとして使われがちですが、本来は『浄土に咲く同じ蓮の上で生まれ合わせましょう』という意味なんです。旅立ちの後、夫婦や友人が極楽浄土で再会し、そこで一緒に暮らしましょう、という意味があるんです。破滅の意味ではなく、むしろ救いの言葉なんです。

 春田の愛の告白は、もし春田が先に逝けば浄土の蓮の上で牧を待ち、牧が先に逝けば浄土の蓮の上で春田を待っているというニュアンスだと捉えています。死に向き合った時に春田が伝えたかったことは、牧を〝道連れ〟にしてしまった罪悪から発した言葉ではないと自分は思っています。

 そのせいか、自分には春田が牧を抱きしめながら「ごめん…」と言ったセリフがどうしてもストンと腑に落ちません。もちろん無関係の牧を命の危険に晒してしまった罪悪から成る言葉という、ハード的な意味なのは分かります。今までの行いを悔いる懺悔の言葉だと言われたらそうなのかもしれません。

 ですが、自分にはこの言葉は何も響いて来ないのです。田中さんはこの言葉の意味をどう自身に落とし入れて音に載せたのか聞いてみたいところでもあります。

 最近、公式がこのシーンに関しての投下をしました。10個の誓いを立てた二人だけの結婚式であること、二人がこの上なく尊い存在であること、牧のポケットの膨らみについて話題になりました。

 自分が白いタキシードの二人より埃まみれなスーツ姿がいいと思うのは〝泥中の蓮〟を連想させるからだと思います。泥中の蓮は泥の中でしか美しい花を咲かすことが出来ない蓮にたとえ、汚れた俗世の中でも大切なものを見失わない、精神の気高さや美しさを意味しています。

 これから幾多の困難の中で二人はその壁を共に乗り越えて往かなければならない=結婚ということなのだと思います。埃まみれの二人があんなに美しいのは、単なるビジュアルの問題ではありません。

 互いに春田を作ってくれたのは牧である林さん、牧を作ってくれたのは春田である田中さんと公言しています。まさに役を生きている二人です。演じているのではなく、生きているんです。

 ブレーンを信じていますが、よもやこの相思相愛の二人を別つことはないですよね?どうかお願いです。二人の未来を見せて下さい。もしそれが叶わないのなら、運命を共にして下さい。その運命とともに自分も在ります。

 自分にとっておっさんずラブはただの娯楽ではなく、運(めぐ)り合わせた命の輝きだからです。



13
心の海に棲まうもの 泪の河で創り出でし海 その限りでしか 息づけぬ魚
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。