財の生産能力と貨幣発行可能性

世の中、科学技術は進化し、医療も進歩しているのに、日本では小泉政権以降、貧困が増え、自殺者や餓死者が後を絶ちません。

財務省は社会保障の財源を、もっとも公平な消費税にすべきだといっていますが、ほんとうにそうでしょうか?

基本的人権は国民一人一人の健康的で文化的な暮らしを保障するものです。

それを、稼ぎのない赤子のミルクやおむつにまで課税するというのは、果たして本当に「公平」でしょうか?

また、租税の徴税コストを高くしてはいけない、複雑にしてはいけないというのが、原理原則です。

せっかく納めた税が、それを管理ためのコストで消えていくというのは、本末転倒な話だからです。

増税に加えて軽減税率制度、さらに令和5年10月からはインボイス制度と、租税負担と徴税コストを増やして役所に無駄な仕事をつくっても社会保障は充実しません。


MMT理論によれば、そもそも「貨幣の発行」が先行して経済活動の後に「納税」があり、貨幣が戻ってくるので、「歳入・歳出」を一致させる必要はない。歳出、つまり貨幣の発行は必要量おこなってよいというものです。

これは、MMTの理論をみなくても、自国通貨を発行する国で、インフレを起こす国とデフレを起こす国の違いを見ればすぐにわかります。

ベネズエラは軍事政権の経済政策の失敗によって国内に生活物資がいきわたらくなり、たいへんなインフレを起こすと同時に、大量の自国民が海外脱出しました。

そして、こうした脱出組が電子決済手段によってドルを自国を持ち込み、現状、ドルが流通貨幣となっています。

また、ジンバブエについては、鉱業にかたよった経済であったため、これが傾くと外貨獲得手段がなくなり、物価バランスが崩れ、天文学的なインフレを起こすこととなりました。


このことからわかるのは、

流通貨幣はその背景に基礎となる「財の生産能力」がなくてはならない

ということです。

日本は長い不景気にありながら、すでに後進国レベルに凋落しながらも、それほど実感がありません。

これはなぜでしょうか?日本が特別だから?外国人から尊敬されているから?違います。財の生産能力が割とまんべんなく存在するからです。

だから、デフレが起こるのです。

デフレは物価が下がることですが、価値が下がるということは需要が少ないということ、つまり、生産余剰を意味します。

財が余っているのであれば、じゃそれで福祉を手当できるのです。


非常に単純な話ですが、日本では年間2500万tもの食料が廃棄されています。

さらに、安売りしないと売れない食べ物があるということは、生産過剰なのです。

なので、これを困っている人に配れば餓死者がでるわけがないのです。

これと同じ理屈で、供給過剰になっているということは、それ以上に貨幣が余っていることになるわけです。

貨幣のストックが偏在しすぎているということです。

このストックを所得税の累進強化や法人税の課税強化によって解消すれば、社会保障費の財源は賄えます。

消費税などより、はるかに効率よく、兆円単位で徴税が可能です。


経産省の伊藤レポート以降、ROE経営は配当優先をうたい、結果、配当するために人件費を減らすという本末転倒なことを推奨し、所得の二極化を招きました。

結果、個人所得が減少し、子供は生まれなくなり、学生はバイトをしないと学位すら取れなくなり、勉学どころではなくなりました。

老人はいつまでも会社の給料にしがみつき、生産性を下げ、イノベーションを阻害します。

先ほど、「財の生産能力」という話をしましたが、経済活動にイノベーションが起こらなければ、貨幣はその存在意義を失い、結果、ベネズエラやジンバブエのように、救いようのない事態になってしまいます。


日本に残された時間はあと10年しかありません。

コロナ以上の惨事が、これから起ころうとしています。

あまりに恐ろしい事態です。

役人の浅知恵で天下り先作っている場合ではありません。

本当に、よくよく考えていかなければ、あと10年で、天災と人災が日本を終わらせてしまいます。

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