日本人の労働観 ~残業という苦行観~

先日大学の講義でテイラーの科学的管理手法について学んだのですが、その時フと、会社で毎日、何をしているかわからないけど残業している人たちのことが頭に浮かびました。

彼ら、彼女らは、1日8時間、月20日、つまり160時間もの時間を使い、それ以外にも時間外や土日まで仕事をしているのに、20数万円しか稼ぐことができません。

賃率の設定根拠からいえば、20数万円は月当たりの労働生産性を指す指標であり、これ以上に労働時間が増加するのであれば、それに比例して労働生産性は上がるのですから、売上の増加、さらには賃金が増加するはずです。

資料1

しかし、目標予算を超えるどころか、達成も怪しい状態のため、経営側としては賃金をあげようというインセンティブが働きません。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか?

まず、この話を進める前に、日本人の労働観について概観しないといけないと思います。

日本はWW2の敗戦後、お隣の朝鮮半島で戦争がはじまり、その軍需品の供給基地として、工場がフル稼働状態になりました。

資料2

工場を動かすには熟練した人手が必要です。

しかし、長らく戦争をしていたせいで、十分な訓練を受けた労働者が少ない状態でした。

そこで、最速で熟練労働者を育成するために「軍事教育」を労働者教育に取り入れました。これが悲劇の始まりです。

軍事教育は「敵を殺す訓練」であると同時に「死も厭わず服従する訓練」です。自分を捨て、捨て駒として何も考えずに命令に従う。

フル稼働する工場で歯車として働く分には問題ありませんでした。(もちろん問題ではある)

殴られようが罵倒されようが、戦後の荒廃した日本で飯を食う手段は、軍需品を生産し、米軍に売りつけるしか方法がなかったからです。額に汗して、世の中の理不尽に涙しながらもひたむきに生き抜く姿が美徳とされる風潮が良しとされました。(おしん!)

しかし、こうした価値観は世の中が変わってもそのまま引き継がれていきました。

兵士がサラリーマンになり、「24時間働けますか?」と言われるようになったのです。

資料3

先ほども言ったように、兵士は命令に絶対服従です。死ねと言われれば死ななければなりません。こんな人がサラリーマンになったのが、高度経済成長期。そして今の団塊世代です。

団塊世代は親世代の多くを戦争で失ったこともあり、風俗・文化の継承が未熟な世代であったことが、軍事教育をバックグラウンドとして受け入れやすい環境にし、影響を加速させたといえます。(紛争地域の少年兵問題にも通じます。紛争で親を失った子供は武装組織に拉致されて少年兵として労働や性の搾取、そして兵士として利用されます)

少子高齢化社会と不景気の影響で、ちょっと前であれば定年退職で生産活動から引退していたはずの人たちが、この兵士的感覚をひきずったまま今日に至ったいるのです。

そう、「兵士」の感覚をもったサラリーマンにとって、「労働」は「戦争」なのです。しかも、参謀クラスではありません、あくまで二等兵レベルの話なのです。

命令に対する絶対服従と、没個性化による思考停止状態が教育の基礎となる軍事教育がそのまま労働教育に持ち込まれたため、今その弊害が大きく教育システムにまで波及しているのです。

「組体操問題」などその最たるものでしょう。

「なぜ運動会で順位をつけるのか」と外国の教育者に質問されたとある小学校の校長先生が「子供たちは順位を上げることで自分の弱さに勝つことができる」と寝ぼけたことをいい、顰蹙をかったことがありました。

まさにこれが軍事教育のたまものです。(この校長先生の発言にはある意味少年兵的な無思考から発せられた奇妙な感覚があります。例えば、ISの少年兵は、「アッラーは武器をもって異教徒を殺すことを命じたから戦う」ということを言うのですが、彼自身はコーランを読んだこともなければ、異教徒との関係がなんなのか、敵とはどういう存在かも知りません。この校長先生にとって、子供たちが勝たなければならない本質的な対象とはなんなのかが、まったく見えないのです。ただ単に飾られた「美しそうな言葉」でしかないのです。)

「軍事教育」は徹底して個人を否定するとともに、思考を停止させます。

【死】という究極的に個人の人格を否定する行為を実行させるわけですから、考える力なんてもってもらっては困るわけです。

なので、理由なんていりません。

とにかく「つらい」ことや「くるしい」こと、「がまん」することを強要します。ほんとうに理由なんてないのです。

資料4

小学校で、宿題を忘れると漢字の書き取りをノートに延々をさせられ、逆にゲシュタルト崩壊を起こした記憶のある人はいませんか?

まさにあれです。本末転倒なのです。

とにかく、「たのしい」とか「しあわせ」とか「じぶんの考え」を持ってもらっては困るのです。

こうした考えを植え付けられた人間がサラリーマンになったらどうなるか、想像にかたくありません。

〇とにかく仕事は辛いものでなければならない

〇とにかく仕事は苦しいものでなればならない

〇とにかく仕事は我慢しなければならない

この条件を満たす労働はただ一つ、

長時間労働

なのです。

ここに、労働生産性や事業の新規性といった概念はありません。

営業利益をいかに増大させるとか、市場の変化に対してどう対処するかといった柔軟性も見当たりません。

完全に思考の停止した奴隷労働者があるだけです。

もはや仕事ではなく【苦行】なのです。

このような思考の残滓は、ジブリのアニメーション作品「耳をすませば」にもみられます。

同級生が目標にむかって、親の反対を押し切ってどんどん先に進んでいく姿に触発されて、自分も小説を書き始めた主人公は、そのせいで学業が疎かになり、どんどん成績が落ち込みます。

お父さんは寛容な態度を示しながらも「でもね、人と違ったことをするのは大変なことだよ。誰にも言い訳ができないからね」と釘をさします。

資料5

いったい誰にするための言い訳なのでしょうか?

例えば新しい事業を社内で起ち上げて失敗したとしましょう。

こういうときに言い訳ができる、ということです。

そして、こういう言い訳が通用する、ということなのです。

とても不思議でなりません。(ほんとうに理由がないからです。)


生産性に対する理解は非常に単純なものです。

同じ時間であっても、生産性が上がれば、賃金はあげてよいのです。

資料6

例えば、今まで1本10分で作っていた鉛筆を1本5分で作れるようになったらどうでしょうか?

生産量は2倍になっても、人件費は変わらないため、コストは半分になるはずです。(人件費だけみれば)

ついでに、例えば技術革新で、これまで黒えんぴつしか作れなかったところ、赤えんぴつを作れるようになり、1本あたり黒えんぴつの倍の値段で売れるとしたら、営業利益は倍々になるはずです。

資料7

「そんなうまい話があるわけがない」なんて思うでしょう?

そんな方はぜひ一度、テイラーの科学的管理法をご参照ください。


話がちょっとそれましたが、本来、このように事業を考え、営業利益を出し、社会にとって有益な財を生み出すとともに会社に利益をもたらすのなら、サラリーマンであっても賃金はどんどんあがってしかるべきなのです。

しかし、なぜ増えるどころか減っているのでしょうか?

これも軍事教育のたまものです。

すでに述べたとおり、軍事教育というのは「絶対服従」であり「くるしい」ものでなければなりません。

先ほど、長時間労働が奨励される構造についてお話しましたが、これに構造不況下のなか「低賃金」も加わりました。最近では「増税」まできていますが・・・。

資料8

要するに、苦しいことの言い訳ができさえすればなんでもよいのです。

そこに理由なんてありません。

だって、奴隷労働者なんですから。

あなたに「死ね」と命ずる軍隊の参謀は、現代においては経営者と名を変えて、「低賃金で働け」と命じるから、その通りに働いているのです。

かつて「敵前逃亡は銃殺刑だ!敵の堡塁を死んでも奪え!」と命令していた鬼軍曹は、現代の部課長となってあなたに「定時で帰るなんてやる気のない奴はやめちまえ!」と怒鳴るのです。

そうすると、仕事はなくてもとにかく上司が帰るまで仕事をするのです。

とりあえず忙しく苦しいふりをするようになるのです。

お金持ちになりたいとは思いつつも、奴隷労働者は思考停止状態なので、自分で考え、事業展開や利益構造の見直しができないために、売上をあげたり、利益を増やすという工夫ができません。


長らく日本企業は売上ベースの評価制度を採用していたため、リベートや割引などで薄利多売の営業慣行がまかりとおっていました。

売上ベースなので、他社より安く、より多く売れば勝ちなので、結果として営業利益が減少しました。

結果、生産単位は上がったにも関わらず、単位コストも上がったため、最終利益は減少することとになったのです。

これも奴隷労働者のなせる業です。

経営者がこういうバカな指示を出しても、「そういうふうに言われたから」と実行してしまい、自分の首を絞めてしまったのですね。

生産コストが上がる、ということは人件費も上がる、つまり、長時間労働をしている、ということです。

同じ生産単位でも、より付加価値が高い財を生産し、販売単価を高く設定することができれば、生産コストは下がる上に単位粗利は増加します。

利益が確保できれば、人件費は増やせるのです。

資料9

日本人の労働の苦しさは、思考停止状態から始まっていると思います。

「働かせてもらっている」という謙虚な姿勢を経営者に見せることで、温情を受け、それによって微々たる給与をいただく、時給を10円上げてもらう、といったおこぼれを頂戴できる、という乞食体質が、長い軍事教育の成果として出来上がってしまいました。

長時間のサービス残業と土日のサービス出勤によって「お、あいつはがんばっているな」と、苦しんでいる姿勢を社長や上司に認めてもらう以外に、評価される手段がないこと、そして、経営者もまた、そういう評価しかしてこなかったことが、日本企業の凋落と奴隷のような労働環境を助長する結果となってしまったのです。

そして何より、新規性や生産性をあげるための継続的な「学び」を厭う労働者が、「怠業」の言い訳としている点が最悪なのです。

怠業を行う労働者は必ず次のキーワードを使います。

「忙しくて勉強なんてしている暇はない」

「資格なんてなくても仕事はできる」

思考を停止し、人の批判をしながら自分ではなにもしないというのは楽なことです。かといって、自分にその批判の矛先が向けられることは嫌なのです。

若くて優秀な人から辞めていくというのは、このような怠業によって寄生する労働者の存在があるためです。

テイラーは批判されましたが、批判する側の意見は「そんなに働かさせるなんて御免だ」というものです。

働かされているのであればそうでしょう。

逆をいえば、長時間労働をしている人ほど、何もしていないことの証明でもあるのです。

最初の話にもどりますが、結論として、残業をしている人たちは本来8時間で終わるべき仕事を時間内で終わらせることができなかったこと自体、会社に損失を与えていると考えるべきで、その時間だけ単位コストを増やすとともに、逸失利益すら生み出しているのですから、もはや害悪以外のなにものでもありません。


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