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高峰秀子「わたしの渡世日記」

「7日間のブックカバーシェア」というのがFBであり、それがわたしがこのブログをするきっかけになった。そこで知った一つの本が、高峰秀子の自叙伝「私の渡世日記」。なんだかヤクザ風の題名であるが、家にあったので早速読んでみた。

昭和を代表する大スター高峰秀子さんの語るあの時代の田中絹枝さんへのバッシングエピソードは、これは今の話か、と驚いた。色々なエピソードが現在のもやもやとした日本の空気と交差しまくっているのにも。

この本は、しっかり足をつけて子供ながらに戦争中も働いていた人の、大した日記であった。

色々な昭和の文化人、スターが登場するので、映画史として見ても非常に面白いし、もちろん、人生訓としてもわたしは色々教えられた気がする。上巻中心にこの下のコラムは書いたので、もっと興味を持った人はぜひこの本を読んでください。

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多くの親と子役時代、そして。

まずは前半で多く語られる彼女の生い立ちがもうなんとも複雑。わらわらと現れる3人の男親、3人の女親の存在。プラス養母が学がないからと言って、彼女を教育しようと現れる映画界の6人の人々など。  

でも何といっても彼女のように子役(5歳)から始まった人に一生付きまとう影のような存在が、今でいうステージママの養母。養母は彼女の生まれる前から彼女を養女にと欲しがり諦めなかった人、彼女との関係は普通の親子以上な運命と確執、葛藤を持っていたと思う。それも全く合わない親子として。

そしてこの時代、一人のお金を稼ぐ人に家族全体がおんぶに抱っこな訳で、彼女の場合も同じ。毎日が過酷で、今でこそある、子役の働ける時間帯の決まりは昔はなく「猿回しの猿のようであった」と本人。切羽詰まれば、無理やり寝てしまうことで、身体を保たせたと。それでようやく、その日の撮影は終了になったということ。なんとも凄い。

12歳の彼女に9人の生活がかかっていたのだけど、ついに押しつぶされなかったのは、いつも彼女を連れまわしどこか美味しいところに連れていってくれる人、綺麗な洋服をお下がりしてくれたり、買ってくれる親切な人たちの存在。彼女曰く、「なぜか知らないおかげである」と。その人たちのおかげで曲がらなくて済んだと。

わたしもよく考えたら、昔からおかげで曲がらなく済んでる一人でそのありがたさをしみじみ味わった人なのでこの辺りに非常に共感。

彼女の人生は13歳の子役として難しい時を乗り越えたあたりが面白い。過酷に働かされて学校もろくに出てない彼女が、発声法をその道の一流の人たちに自ら進んで習ったり、自主的に勉強を始めた時期である。それも戦争は始まっているのに。

すごい人生が、こういう人間を作るのか、人間はいつも運命にこうも翻弄されるけれど、贖い、一人前になるためどう立ち上がるのか、それもその人の運命か? 彼女が27歳の時に全てのものを売り払ったお金で突然パリへ留学したように、人間は何処かの時点で立ち止まって自分の人生を見つめ直す作業が必要とわたしもおもう。賢く生きるのではなくて、貪欲に生きるのは素敵である。

年取った頃の彼女の動画を今でも観れるので見たのだけど、「木下恵介監督・高峰秀子さんを偲んで」チャキチャキの東京っ子風の喋り。どことなく彼女の好きな杉村春子さんが思い浮かんだ。この二人に共通してるのは、タフで現代的、頭の良さそうななところ?(下線部分でリンクへ飛びます)

あの時代とこの時代の交差部分をピックアップ。

1 日本が敵国の言語や文化を封じ込め、レコードは焼き、野球ではストライクを「よし」と言ったり、全て外来語は日本語に変換していてアメリカを意図的に見ないで戦争へ向かっていた時、アメリカは、日本研究を一般人に呼びかけ、日本語の特訓を軍人にしていた。 彼女曰く、「どだい役者が違っていた」。アメリカと日本の差、それは気づいてるひとにははっきりしたものだったのだろう。

2 お米の通帳があったころ、弓矢、竹槍、防空頭巾をマジ真剣に作っていたら、原爆が広島、長崎に落とされた。役立ったのは防空頭巾だけと彼女。(まともな数字も出せてないのに、緊急事態宣言に従ってお店は閉まり、マスクを作ってるいまか? 少し前北朝鮮からのミサイルが日本海に向けて発射されるたびにアラームが鳴り、みんな机の下へ隠れろと言うのもあった)

3 もし徴兵を断ると死刑。(今だにこれは、そう言うことを言ってる人がいますね。石破茂?)

4 まさか、まさかの8月15日の天皇陛下のラジオでの演説の時、東映では普通に映画を製作していたという事実。(なんか、コロナが続いてるのにまだオリンピックと言ってる日本人政治家の姿をそこに見たような。)

5 アメリカの進駐軍握り飯を振る舞った話のところに出てくる黄色い顔をした日系二世兵。東京は汚く、衛生面に問題があるため、一人の兵士はおにぎりの代わりに、ワクチンを彼女にプレゼント。それは、レッドクロスの病院での話。彼女はチフスとコレラのワクチンを3回に分けてやるべきところを一回でやって高熱が出たらしい、、、。(うっ、ワクチンの話)

6 田中絹枝のサングラスに投げキッス事件。清楚で知られてる彼女がアメリカへ日米親善使節として行った時の話、洋装姿、赤い唇で投げキッスをしたことが新聞記者や人々を怒らせ、報道という報道は非難。記事は、凶器になり彼女を追い詰めた。田中絹枝でさえ自殺を考えていたエピソードは、、、今とどこも変わらない。どこの国民も、一旦神と思うくらい人気の出た人に対して、その人がする裏切りと思う行為には本当に過剰敏感。まぁ清原しかり、マラドーラ然り。テラハウスの彼女がどのくらい人気があったのかわからないけど、人々の声は、イメージを裏切られると容赦がなく個人攻撃をする。今はSNSがあるから、有名人でない人にもその手は及んで、より怖い。

7 戦争時の色々な禁止事項。ハワイアンのスチールギター。全ての贅沢。宝塚少女歌劇他劇団、映画、月二回肉無しデー、食塩さえ配給。(なんだか、新型コロナのための新しい生活様式を厚生労働省が発表したのに似てない?)

8 つい昨日まで日本軍の兵士のために軍歌を歌い、士気を鼓舞し一億玉砕と叫び、日本軍の食料に養われた彼女が、戦争が終わり、GIの歌を歌い、アメリカのポップを歌う。チョコやクッキーを食する。「昨日までの自分」と、「今日の自分」のつじつまは絶対に合わないことを、彼女は書いている。私たちも、この変わった時代の中にいて、自分が人がどう変わったか書いておくべきかも?

いつまでも一度決めたことを止められない日本人。

この本で私が気づいたことをつらつら。

それは、昔から日本が、論理的に動かない国であるということ。戦争が負け戦だとわかっていても、止めることができない政府。上の人に従うだけの国。

重要な場面で日本のほとんどの男性が、驚くほど夢見がちであり何の決断も下せないこと。それにひきかえ、日本女性は実はリアルに物事を見てること。男性がこうだからか、女性の強さは、外国人の女性と比べても、よりタフで、実は強いこと。

これからの時代、冗談でなく、女性の連結により日本は変わるのかも、とも思った。

また、おそらく専門家会議っていうのはいつの時代にもあったんだろう。しかしながらその記録は? 後々の検証のためにも、または自分の身を守るためも、きちんとした記録は残さないと、と私は思うのだけど、誰も考えないで研究の議論だけしていたいのかな、専門家は?

歴史書でない一人の自伝でこうも現代と変わらない話がどんどん出てくると、テクノロジーは発展しても何にも私たち人間の本質は変わってないと知らされる。でも少なくとも、彼女のように記憶をしてそれを書き記す、など自分ができることはやるべきなのかと、ここでもまた思う。

パオロ・ジョルダーノの本「コロナの時代のぼくら」ではないけど、あとがきにある。忘れたくないリスト作り。やはりしたほうがいいね。











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