伊予編22 祈る人とは沈黙の人

話は、遍路に戻る。

西条教会の神父さんが、次の三島教会に連絡してくださった。

JRを使い、いよ三島駅まで。

そこから、教会を目指すわけだが、いかんせん地図に載ってないし、電話も持っていないわけだから、近くのスポーツジムやコンビニの人たちに聞いて探すものの、

「いやあー、ちょっとわかりませんね。」と。

スマホで検索してくださり、「ここをこういってこうです。」と言われ近くまで行くものの、教会がどこにあるかさっぱりわからない。

日も暮れて真っ暗闇。

そのうち雨が降ってきて、レインコートを着たままその周辺をあっちでもないこっちでもないと延々と歩き回るが、見つからず。

そこに通りかかった傘をさしたおじさん。

「すみませんが、三島教会をお探しの遍路の方ですか?」

「はい!」

「ああ、やっと会えました!」

雨にずぶ濡れで、座るところも休むところもなかったので、やっと会えた時は心からほっとした。

「まずは、ご飯の前にシャワーですね。」

と、信徒の夫婦が温かく迎え入れてくださった。


その後、車で近くのうどん屋さんに。

今こうして歩いている経緯など話す。

「うちの息子もなあ、大学院までいったけれども、なかなか仕事がなくて苦労しとるよ。

『としろう』というんだけれども、『人生は徒労(とろう)だ』なんて冗談交じりで言ってるよ。」とのこと。


アットホームで小さな教会。

聖堂と、信徒会館の区切りはなんとカーテン。

司祭不足で、一人の神父が複数の教会を巡回して担当しているという。

机の上に、シスター渡辺和子の書いたマザー・テレサの本が置いてあったので、興味深そうにパラパラめくっていたら、奥様が今読まれているらしい。

「それ、差し上げますわ。どうぞどうぞ。」

と言われ、ありがたく、新しい旅の共にさせていただく。


夜中になり、誰もいなくなった真っ暗な聖堂でひとり、赤いランプのご聖櫃の前で祈る。

こうして一人きりで、神の前に向かう静かなひと時がもっとも幸せだ。

「祈るためにまず必要なのは沈黙です。祈る人とは沈黙の人と言ってよいでしょう。」

「祈りとは自分自身を神の御手の中に置き、私たちの心の深みに語りかけられる神の御声を聴くこと。」

「神が私たちに望んでいらっしゃるのは事業を成功させることではなく、忠実に生きること。神と相対して生きているとき、大切なのは結果でなく誠実さ。」

というマザー・テレサの言葉が染み入る。


翌朝、朝早く起きて一階に来てみると、夫婦がすでに聖堂でロザリオの祈りを捧げていた。

おそらく、私のために。

その祈る姿がとても美しくありがたかった。

思えば、この旅の途中、一体どれくらいの方に宗派、宗教を超えて祈られ、応援されてきたことだろう。


「お接待」にと、おにぎりだけでなく、長袖のシャツをいただいた。

10月に入り、寒くなってきたころだったので、長袖はとても助かった。

ちなみに、あれから五年経った今も、その長袖のシャツを着て、この文章を書かせていただいている。

車で、曲がりくねる山道を運んでもらい、つぎの札所65番三角寺(みすみじ)へ。

おそらく、普通に歩いていたら、相当疲れ果てていただろう。

二日間の暖かいもてなしに感謝を捧げつつ、別れを告げ、寺に向かう。



秋風の吹く山道を歩きながら、思う。


「見よ!

風、鳥、獣、草木、空、海、陸、一切が仏、神!

今、ここに神が生きておられることがはっきり分かった。

「神」や「仏」というコトバではない。

あるものすべてが、宇宙の生命。

全身で感じることに集中せよ。

一切は語っている。

神の言語は「愛」。

生きとし生けるものに語り掛ける慈悲。

奇跡や超常現象でなく、今、ここに、神の偉大なわざが生きている。

宇宙は今も動いている。」




道中、北海道から来たというおっちゃんと道を共にして話が弾む。

そうして歩いていたら、テレビ局のカメラと出くわす。

歩き出す後ろ姿をカメラに収められ、二人して、

「いやあー、私たち運がいいですね!」と言いあう。


遍路道中には、やはり不思議な出会いがよくあるものだ。

そうこうしているうちに、二人して道を間違えた。

渓谷を登っていくのだが、遍路道の印が見当たらなくなり、変な方向に向かっているようだ。

「ついてますよ!後で絶対いいことありますよ!」

とか言いながら、引き返す。


休憩所を見つけ、「職業遍路」のおじいさんに出会う。

「ちょっと手相見てやろう。」

一緒に歩いていたおじさん、

「あなた、怒りやすいね。」

「当たってます!ピッタリです!」

と驚かれる。

私もみてもらった。

「あんた、非常に珍しいタイプの手相だね。一パーセントあるかないかだよ。」と目を丸くされながら言われた。

「ほう、あんた、物理学者、でなかったら哲学者だね。」

ズバリ。

「うん。好き嫌いが激しいけれど、八方美人。これはいかん、これはいかんね。

必要以上に金使ってるね。

気が小さい。

旅が好き。

座禅するのがいいね。

インド行くといいね。」

全部当たっていた。


実は、その数か月前にも、知り合った手相見の方から手相を見て頂いたら、ほとんど同じことを言われた。


お話があまりにも面白いので、同行して一緒に行く。

かなり、霊的な感覚のある方のようである。

隣にいたおじさんは、話についていけずきょとんとしている。

「ワシが死んだら、閻魔様じゃ。」

お地蔵さんと閻魔大王は同一視されている。閻魔大王は地蔵菩薩の化身という民間信仰がある。

いつも見守っている反面、死んだら、生きていたことの報いを裁く存在。

現在の仏教界のお話や、先ほどの記事に書いた、新興宗教の話題が出てきたので、その話で盛り上がる。


そんなこんなで、10キロ以上歩き続け、野宿できそうなところが見つからない。おじさんに電話してもらい、遍路宿の方に迎えに来てもらう。












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